04/06/15 02:44
月刊現代6月号の立花隆の寄稿に詳しく書かれていた。
ちなみにこの号には亡くなった小川功太郎氏の寄稿文もある
URLリンク(kodansha.cplaza.ne.jp)
一番最初の3人がイスラム聖職者協会事務所で開放されたとき
川口外務大臣が会見で、3人の安否は分からないと言っていた。
ちょうどそのときすでにTVでは開放された映像が流れていたにもかかわらず。
つまり、日本政府は終始3人の動静をつかんでいなかった。
日本政府はいろいろ人質解放の交渉らしきものを行ったらしいが
そのすべてがガセで結局金をボッタクラれただけ。
全く人質解放には役に立たなかった。政府が自らの情報収集能力
の無さで金を巻き上げられたのだからそれこそ政府の自己責任である。
人質解放に一役買ったのはちょうどバグダッドにいた日本テレビの通訳だった
イラク人男性で、イスラム聖職者協会とのパイプを使い開放までこぎつけた。
だから、日本テレビでいち早く開放の映像がテレビで流された。
要約するとこんなところ。「現代6月号」の内容は非常に面白いので一読を薦める。