12/04/07 00:41:06.90 uwwoen//
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ネム氏は十分に論理的に考えているのだ
既存の論理学の不備を補おうとしてシステムを拡張する。
その作業そのものは論証的とは言えない(かもしれない)。
しかしそれはやみくもな創造ではなく、論理を求めているのだ。
妄想(≠空想)による意味不明の言葉遊びをしている間は「見えていない」のだから
それが論理かどうかは問えない。
しかし、どれほど思考の奥深く潜ろうとも、そこに何かが見えたのなら
そこで気付いたものがニヒリズムであろうが、その克服であろうが
それは、我々が何ごとかを論理によって掴む、そういうことだろう。
そうでなければ本当は見えてないのだ。
自然には科学理論で語り尽くせない事態があるとすれば、それはやはり論理によって知られる。
知るとはどこまでも論理的だ。
思考は論理からは逃げられない。これは宿命にも見える。
しかし一方、論理は自由だ。論理によって息をするのだ。