12/04/07 08:47:16.67 uwwoen//
よろしくおねがいします
【スレのURL】 スレリンク(philo板)l50
【名前欄】 抄録
【メール欄】 sage
【本文】↓
論理性とはなんぞ~正しさとかなんとか
あたくしは論理記号も読めませんし、古典論理も様相論理も知らないわけですが
それでも何ごとかを考えるのに不自由を感じたことはありません。
私にとって(論理的にw)考えるの際に最重要なのは区別可能性です。
これ間違いない。
同じ言葉であっても使われる状況によって意味が異なってくる。
感覚を集中してつらつら考えると、それが見えてくる訳です。
見えたものの本質を崩さないような表現を必死で探す。
しかしこの見えたものも、ひねり出した言葉も、それが“正しい”保証はない。
論理は始まりであり終点でもあるのでその根拠付けはできない。
次いで重要なのは普遍性です。
言語を媒介にして、私に成立する区別(比較)が他者にも成立する。
成立する保証は全くない。しかし有効に成立するように見える。
経験と訓練によってその精度を上げられるように見える(最近は説得力がないw)。
これは、論理を成立させるための普遍的な構造によって我々も構成されているのだとしか考えられない。
ところが以上は論理的に思考した帰結なので、それが論理性の本質であるかどうかは宙に浮いてしまう。
・・・ということも論理的な思考の帰結・・・やっぱりおかしいか?w