【【【 決別曲、インスタント・カーマ!】】】at BEATLES
【【【 決別曲、インスタント・カーマ!】】】 - 暇つぶし2ch478:ホワイトアルバムさん
12/05/19 13:06:29.86 0
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479:ホワイトアルバムさん
12/05/20 10:28:33.39 0

『アビー・ロード』は明らかにポールとジョージのアルバムだった。
ポールによる後半のメドレーとアルバム全体を引っ張るプレイ、ジョージは
彼の代表曲となる「サムシング」と「ヒア・カムズ・ザ・サン」を録音した。
リンゴまでもが「オクトパス・ガーデン」という名曲をものにした。「友達から
のささやかな助け」を必要としたけれど。

焦ったのはジョンである。近眼による自動車事故のためレコーディングは殆ど
参加出来ず、作曲でも傑作をものに出来なかった。何とかチャック・ベリーの
「ユー・キャント・キャッチ・ミー」を盗作した「カム・トゥゲザー」とベートーヴェン
の「月光」を逆さまになぞった「ビコーズ」だけを用意した。

音楽的な限界は避けられないものとなり、名声を保つためにジョンが必要としたものが
平和運動であった。

(リチャード・コリンズ)



480:ホワイトアルバムさん
12/05/26 19:32:54.55 0
>>479
幼稚なねつ造文乙


アビーロードのジャケットは、先頭を白いスーツ姿で颯爽と歩くジョンと
裸足姿と歩きタバコで必死に目立とうとするポール。
やはりジョンが最後までビートルズのリーダーだったんだと再認識させられる写真だ。
アビーはジョンのカムトゥギャザーで始まり、ジョージのサムシングという磐石の流れ。
しかし次の幼稚なポールのシルバーハンマーでズッコケて台無し。
B面もヒアカムズサンからビコーズという磐石の流れ。
ジエンドのギターバトルもポールが一番弱く、アビーロードは実質ジョンとジョージの活躍で
持っているアルバムだといっても過言ではないだろう。





481:ホワイトアルバムさん
12/05/26 20:23:51.70 0


890 名前: ホワイトアルバムさん [sage] 投稿日: 2008/03/24(月) 07:15:51 ID:???O
映画のLET IT BEがビデオ、DVD化されないのは
ビートルズのバンマスがポールだった事実を世間に広まるのを恐れて
小野洋子が発売を止めている

リーダーとバンドマスターは別
ローリングストーンズならバンマスはミック・ジャガー

482:ホワイトアルバムさん
12/05/28 00:16:04.19 0
>>481
ねつ造乙


「映画レットイットビー」でのシーン。

リンゴがオクトパスガーデンをジョージと一緒にピアノを弾きながら歌っていた。
そこにジョンが現れ、ドラムセットに座り器用なテクニックとノリが抜群のリズムでバックを付けた。

3人でオクトパスガーデンを和気あいあいムードで演奏していたら、
ポールがスタジオに入って来た。
その瞬間、演奏がピタリと止まり空気が凍りついたような沈黙が続いた。

ポールは薄ら笑いを浮かべながら「酷い曲だ」
ジョージはムッとした顔でポールを睨みながら「これから良くなるんだ!」
そんなポールをジョンは押さえる気力もなく、絶望的な表情で見ていた。

259 :ホワイトアルバムさん:2009/08/29(土) 07:39:28 ID:5HCQ34J10
>258 ポールって最低のクズ人間だな

261 :ホワイトアルバムさん:2009/08/29(土) 07:50:42 ID:???0
ジョンのドラムはタイム感覚抜群で上手かったなぁ。
ポールより遥かに上手いと思うよ。 ポールの「ママミスアメリカ」なんて
途中でリズムが大きくズレていて素人みたいだもんなぁw

ポールは"Let It Be"のDVDの発売の許可をしないようだね。
アイヴガッタフィーリングでもジョージのギターに難癖つけて口論になったシーンもあり、
自分のイメージが悪くなるのを恐れているからだろう。



483:ホワイトアルバムさん
12/05/28 00:20:32.19 0
>>482
ねつ造乙。パン工場勤務のナポリさん。

79 名前: ホワイトアルバムさん [age] 投稿日: 2009/11/19(木) 23:21:51 ID:???0
最も危険な緊張は、ジョンとジョージの間に走った。何年も脇役に追いやられてきたジョージは、
オノ ヨーコの意見が今やバンド内で自分と同等、時には自分よりも優先されることに気付いた。
極めて重要な問題に対しても、ジョンは何も言わずヨーコの意見に従ったため、他のメンバーは気が狂いそうになった。

それでもポールは冷静に対処するようにした。ヨーコを排してしてビートルズを元の4人に戻すか、我慢するか。
その2つしか選択肢はなく、彼はジョンを失いたくなかったため後者を選んだ。しかし、ヨーコが「ビートルズはこうするべき、
ビートルズはああするべき」とビートルズをいつも”ザ”を付けずに呼んでいたことに、ポールは苛立っていた。
「本当は”ザ・ビートルズ”なんだよ」とヨーコを論しても、無駄だった。
そしてとうとうジョージがキレた。69年1月10日の昼過ぎ、ジョージとジョンは殴り合いの喧嘩をした(2人は後に殴り合った
ことを否定してるが、ジョージ・マーティンはジョンの伝記の著者、フィリップ・ノーマンに対し、口論が殴り合いにまで
発展したが「もみ消された」と語っている)。

その様子は映像に収められていないが、ジョージがビートルズを辞めると言う映像は残っている。ギターをしまいながら
「俺は出ていく。メンバー募集の広告でも出せばいい。またクラブ回りで合おう」と言っているのだ。
ポールとリンゴはショックを受けているようだが、ジョンは落ち着いた様子で、ジョージを嘲るかのようにザ・フーの
「クイック・ワン」を弾き出した。その後、ヨーコがジョージに代わってマイクをとり、歌詞のないブルースを歌い出した。
また同じ日にジョンはエリック・クラプトンをジョージの代わりに入れるのはどうかと提案した。
「何が言いたいかというと、ジョージが辞めてもビートルズを続けたいか、ってこと。俺は絶対に続けたいと思っている」

        (ザ・ビートルズ徹底検証「解散40年目の真実」
             ローリングストーン日本版2009/11号より)


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