12/01/24 21:56:15.98 C4IBGRXMO
>>171
プレッシャーには弱いのかなー?分からないけど、高校時代は大事な試合で負けたりしてた。
2年夏…直前までメンバー入りしていたが怪我で離脱。甲子園ではアルプススタンドで応援。
2年秋…甲子園メンバーは全員3年生のため、貢の代は秋の大会で初めてデビューする選手ばかり。
しかし、貢も打ちまくり、県大会優勝。
2年秋(東海大会)…県大会優勝のため1回戦はシード、2回戦、リードされ追い詰められた8回、貢タイムリーで同点、しかし競り負けセンバツ逃す。
3年春…冬からの練習なのか、貢サードで登場。貢が相手の送りバントを悪送球して失点するのがデフォとなるが、準優勝。この大会より、貢応援歌がアフリカンシンフォニーからパーフェクトラブへ変わる。
3年春(東海大会)…貢の送りバント悪送球は相変わらずだが、打撃走塁は目立ち、準優勝。
3年夏…背番号は5ながら、開幕したらセンターとして出場。絶好調で打ちまくり迎えた準々決勝、
貢もチームも全く打撃をさせて貰えず、まさかのコールド負け。
相手は前年夏の決勝で東邦に破れた愛知啓成。この日は同じ球場の第一試合で名電がコールド負け。
東邦と名電が同じ日に同じ球場でコールドで負けるという、嵐のような一日であった。
面白いのは、上記のように優勝や準優勝を数多く経験しながら甲子園に縁がなかった貢に比べ、広島堂林の甲子園との縁。
2年秋は投げられずギリギリ3位通過で東海大会、でもそこでは快投して余裕のセンバツ切符。
3年春は名電に負けるも夏には同じ名電に余裕のコールドで全国制覇。
知名度では全くかなわないけど、追い抜けるよう頑張って欲しいな。