06/09/18 21:34:24 v4v30svS
河原敏明 『美智子さまから 雅子さまへ』
URLリンク(ime.nu)
実は皇太子は、雅子さまの“お妃否定発言”のはるか前から、雅子さ
まへの思いを断ち切るよう説得されていたのだ。雅子さまはもちろん知
り得ないことであったろう。
説得にあたったのは、当時の富田宮内庁長官だった。
富田宮内庁長官は警察官僚出身で、宮内庁次長として宮内庁に入る前
は内閣調査室長つとめていた。
問題になったのは、雅子さまの祖父江頭豊氏が、水俣病の元凶となっ
たチッソの社長、会長だったことである。
「小和田さんついては、そのことが付随してまわりますので」
と浩宮に申し上げたところ、
「わかった」
と皇太子はおっしゃったという。
将来は天皇となるご自分の立場を熟考しての言葉である。断腸の思い
で、雅子さまへの思いを断ち切ろうとなさったのだ。
しかし、豊氏は、三十七年興銀の大阪支店長から専務としてチッソに
入社し、三十九年に社長となった。それは刑事事件としてとりあげられ
た一連の事実が終わってからのことなので、豊氏自身は、会社再建のた
めにチッソ入りしている。直接の加害者ではないが、会社の廃液を水俣
湾に流したことが原因であることを強く否定し、それが敗れてからも被
害者への補償問題に厳しく対処するなど、会社再建との狭間で辣腕をふ
るった人物である。のちにこのことを知った雅子さまは、
「おじいちゃんが悪くいわれた」
と嘆いたという。
雅子さまのキャリア・ウーマン宣言とチッソ問題とで、雅子さまお妃
説はマスコミからほぼ完全に消えた。雅子さまに米国時代、ボーイフレ
ンドがいたとの情報が、水面下でささやかれたのもこのころである。