12/09/16 21:33:42.20 afC115ne0
>>517
そのはじめの「極楽」というのは、「有頂天」という意味です。
欲得、貪りの餓鬼のごとく心で生き、念願叶って手に入ったら有頂天になり、いい気になる、
しかしやがて、自分が手に入れたもの、立場などを誰かに取られるんじゃないかと
阿修羅のごとく警戒して生き、奪われたら「もうどうでもいい」と畜生のごとく
無関心となる
というように、人の心は6道の中をさまよっている、ということです。
そこから抜け出すには、第一段階として、自らの心が現実とつながっているという
ことを自覚する段階というのが重要であるということです。
2番目の段階は、6道をさまよっていた闇の心と、新しい生き方をしようという
光の心と闇の心が拮抗する段階です。
3番目は、心を止めて見ることのできる、止観体得の境地です。
4番目は、光の心が確立されること
5番目は、生まれてくる前の本当の自分、魂の願い、光を遠くに臨みみることのできる段階
6番目は、この世で果たすべき使命があらわになり、それに応えて生きている段階
7番目は、神様に自分を使っていただこう、という神様に托身して生きる段階
8番目は、神様からみたまなざしを知ることのできる段階
9番目は、お釈迦様の体得した「観自在」という境地です。
6道は、全て地獄であり、そこからなかなか抜け出すことができないものです。