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在日アパッチ族が「笑った」場所 今や副都心『大阪ビジネスパーク』
2014.2.5 16:30
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戦後、砲兵工廠は廃墟のまま残された。鉄や銅など大量の金属類のカタマリやクズが散乱したまま放置された。朝鮮戦争の特需後の
昭和20年代後半、この金属類をもとめ、夜な夜な跡地に入りこむ集団があった。アパッチ族である。
金属ドロボウのアパッチ族については、よほど作家的な興味がそそられるのか、開高健が『日本三文オペラ』、小松左京が『日本アパッ
チ族』、梁石日(ヤンソギル)が『夜を賭けて』という作品を、それぞれ書いている。
アパッチ族には、さまざまなグループがあった。それぞれのグループは夜になると、「ほな笑いにいこか」と言いながら、出発した。「笑う」
とはドロボウの隠語である。かれらは当時、環状線とほぼ並行して流れていた猫間川を粗末な船で渡ったり、弁天橋にあった守衛小屋
のまえを強行突破したりして、跡地に入りこんだ。それぞれが手鉤(鳶口)や金ノコ、ロープ、シャベル、ハンマー、チェーンブロックなどを
持ち、火事場のナントカのような力を発揮し、巨大な鉄塊などを盗んだ。
もちろん警察官たちとも、たびたび衝突した。警察官を見つけたら、仲間に合図を送らなければならない。その時の合図の声が、「ヒョウ
ヒョウ」とか「ヒャアヒャア」というふうに聞こえた。
『日本三文オペラ』によると、この合図の声や警察官をまく機敏な動きなどから、取材に来た新聞記者が「アパッチ族」と命名した、とある。