06/05/12 00:08:53
戦前から変わらない朝鮮人気質
■朝鮮人詩人の金素雲の自伝より抜粋
日本人所有の家を借りたなら、家賃は一切払わなくてもよいというのが、
その当時(昭和の初期)同胞の間では常識化していた風習だった。
「お前らは国まで盗んでいったじゃないか。家賃ぐらい何だ!」
―こちらにはこんな腹があったが、引っかけられた日本人の側では恨み骨髄にならざるを得なかった。
家賃をもらうどころか5,6ヵ月分の家賃に当たる金を<立退料>という名目で払わなければならなかった。
こんなとき、その仲介の役割を果たすのが、いうなれば叔父の職分だった。
(同胞が集団居住する町には、こんなブローカーが必ず何人かいた)
1,2年ただで住んでは<立退料>をせしめて家を空けてやることもあったが、
時には引っ越した次の日に大家から立退料を取ってまた引っ越していく、そんな場合もあった。
その立退料の半分ぐらいにあたる金が叔父のようなブローカーの懐に入ってくる。
もちろんこれは4,50年前の昔話ではあるが、こんなやり口がその後長い間い年月を通じて、
大多数の日本人の生活感情の底に<チョーセンジン>を敬遠し蔑視する後遺症の種となったことも事実である。
URLリンク(www.geocities.co.jp)
『蛇を吊し煙で燻べ家主をいやがらせて立退料四万円余をせしめた/鮮人連の組織的恐喝』 大阪朝日 1926/11/14
『「借りた以上はおれのもの」/替玉を住せて立退料を/被害各方面に及ぶか(武庫郡精道村)』 神戸又新日報 1931/12/3
『僅か一ヶ月に四軒から立退料/ペテン師鮮人の凄腕/悪運つき芦屋署へ検挙』 神戸又新日報 1932/12/17
『貸家へ無断で住み家具一切を薪に/立退料をうけ高架下を追はれた乱暴な朝鮮人十名(須磨)』 神戸又新日報 1930/10/22
※ごく一部の記事です。