06/11/22 21:04:05 Vsx1/lQS
>>983
“過剰な人間ドラマ”って部分に関して言ってるんだけどね。
例えば「セックスチェック・第二の性」「やくざ絶唱」は、それに当たると思うし、
この二作を観て“なんと増村らしい”と思う人は多いんじゃないですか?
それに>>979の言う意味の“ドライ”というのは、“人物が感情的ではない”という
意味もあるんじゃないかな? 増村の人物は、それこそ、感情で動くでしょう。
もちろん、増村って、作家としての、かなりドライな目・感覚はあると思いますよ。
そういう人がああいう“過剰な人間ドラマ”を演出する点に個性があるわけで、
そこには、彼が選んだ「ドラマそのものの面白さ」が脈打ってると思いますよ。
料理をする人間の個性が違うだけの話でね。
先に自分は、骨法十箇条は、近松から黙阿弥に至る伝統的な日本の戯曲の
影響下にあるものと書きました。笠原氏は、その伝統の延長線上にいる作家でしょう。
その点で、増村が近松の「曾根崎心中」を自分の企画として撮っているのは、興味深いですね。
こういうものにこそ、分かりやすい、「カセ」や「カタキ」があるわけで、
自レスですが、>>967 の4・5の部分……すなわちドラマのカラーになる部分で、
「骨法十箇条」を当てはめやすいものになっています。
特にカタキなどは、原作よりもずっと徹底したカタキになっていて、
そこがあの映画の卑俗な面白さともいうものになっているのは、面白いですね。
そういう伝統的で通俗的なドラマの面白さに乗っかった増村を、
シネフィルが喜んで観ているのは、やはり単に画面が…って話じゃないと思うんですよ。
つうか、(あなたはちょっと違うけど)皆さん、表層云々って言葉を、
それこそ表層で(w)、つまり、上っ面で捉えすぎじゃないのかなあ。
社会派的なテーマ主義とは離れてるけど、親玉の蓮實の言う説話論的経済性云々は
(個人的には、“決まった尺で巧く語ること”とでも言って欲しいんですがw)
脚本の意義とは、必ずしも無縁じゃないような気がするんだよね。
まあ、専門じゃないので、よく分からないが、そこまで連中、馬鹿じゃないと思う。