06/11/22 17:53:52 MyGavpin
>>943
>憂いてる自分自身が過去の遺物
スレも終わりですが、最近、マジでつくづくそう思う。例えば「三丁目の夕日」のような
ベタもベタが受けるのは、CMや予告編のイメージを裏切るようなことが一切
起こらず、快く擬似ノスタルジーと擬似人情劇を楽しめるからであって、劇的葛藤も演出の芸も存在しないから。
(信者は抗弁するけどね)
これに比べれば山田洋次など恐ろしく良心的で、寅さんなど観客の「明るく楽しい
人情劇」というイメージを満足させつつ、随所のディテールや中身では実は結構
裏切ることをしているんだよね。人情劇のイメージを観に来ただけの人も、そういう
ディテールやテーマを観に来た人も、双方を満足させるわけですよ。
あるいはマキノ雅弘や加藤泰などはテーマは単純かもしれないが、演出の至芸だけで見せてくれる。
この類の劇的葛藤の高まりは、観客にとってはもう邪魔なものなのかもしれない。
反対に表象系の人や批評が誉めたり映画祭で受けるようなものには「ドラマ」がないんだよ。
90年代以降に小津映画の誤読が流行ったけど、要するに環境ビデオを見てその
絵がいい悪いと言っているようなものなんだよね。
一般大衆レベルでも批評レベルでもドラマなんかもう要らないんじゃないかな。
979:名無シネマさん
06/11/22 18:41:56 CDzl39h4
>>978
>この類の劇的葛藤の高まりは、観客にとってはもう邪魔なものなのかもしれない
>90年代以降に小津映画の誤読が流行ったけど、要するに環境ビデオを見てその
>絵がいい悪いと
小津映画が見直されたのは別に端正な画面だけじゃなく
従来の日本のドラマとは異質な
湿っぽくないドライな感性が受けたってのもあると
思うけどね
ジャームッシュやヴェンダースがさほど違和感なく小津をリスペクトするように
わりと欧米人にも近い感覚なのかもしれない
で、実際ストーリーより画面に集中するような人間にはあまり過剰な人間ドラマは
かえって邪魔だったりするからそういう意味でシネフィル連中にも受けがいいんだろう
ただ日本人の感覚が根本的には変わらずこれが単なる時代の空気による現象なら
また風向きが変わってくる可能性もあるんじゃない?
こてこての人間ドラマがかえって受けるようになるかもよw
980:名無シネマさん
06/11/22 19:23:45 Vsx1/lQS
>>979
>で、実際ストーリーより画面に集中するような人間にはあまり過剰な人間ドラマは
>かえって邪魔だったりするからそういう意味でシネフィル連中にも受けがいいんだろう
多くのシネフィルの増村狂いはどう説明する?
981:名無シネマさん
06/11/22 19:25:19 HKHR0B3l
ドラマであっても国を描いているものならいいんでないかい
マイケル・マンとか。
山田洋次は葛飾区柴又を冒涜してるんでだめしょ。
あそこの住民がかわいそう。
しかも基本スタンスが単なる騙しだから。ルビッチやフリッツラング
がしていたことに比べればダメでしょう。
三丁目は監督が伊丹などで黒沢清つながり。
環境ビデオとか言ってるけど、サイレント映画も環境?
小津はドラマをやりつつ、そのウソを嫌う映画作家だった。
982:934
06/11/22 19:47:04 MyGavpin
>>979
>こてこての人間ドラマがかえって受けるようになるかもよw
コテコテでも、複雑に練り上げたコテコテとかシンプルだけど演出は至芸とか、
そういうのは要らないんだよ。
イメージとしての「泣ける」とか恋愛とかノスタルジーとか、そういう気分を満たせるものにニーズがあるんだと思う。
夏になるといまだに風物詩としてのみ作られる反戦ドラマみたいなもの。
一方の表象系シネフィルは環境ビデオとしての映画を観ているだけなわけで。
>>980
増村はデフォルメしたスタイルやキャラクターの作り方が面白いということでしょ。
983:名無シネマさん
06/11/22 19:52:33 CDzl39h4
>>980
増村に湿っぽい感覚なんてないでしょ?
登場人物の造形もかなりドライ
まぁ増村作品をそんなにカバーしてるわけじゃないからあまり下手なことは
言えんけど
あんたの言う過剰な人間ドラマって例えば「巨人と玩具」みたいな
作品のこと?
984:名無シネマさん
06/11/22 20:10:36 CDzl39h4
>>982
>シンプルだけど演出は至芸とか、そういうのは要らないんだよ。
こういうのはあんたの言う表象系シネフィルには少なくとも受けると思うよw
実際に彼らの間ではマキノ雅弘や加藤泰の評価も高いわけだし
まぁさほど映画を観ない人間にまで
作り手の真意が伝わるかどうかはわからんけど
985:名無シネマさん
06/11/22 20:41:30 HKHR0B3l
増村は小津や溝口の助監督。赤い天使で
両手を負傷した兵士が
「オ○ニーのできない人生なんて生きる価値無い」
と、看護婦(若尾)にアレしてもらうのを
どうやって演出処理したのか。
今のテレ朝的監督と大衆迎合の脚本家にはできない技っしょ
986:名無シネマさん
06/11/22 21:04:05 Vsx1/lQS
>>983
“過剰な人間ドラマ”って部分に関して言ってるんだけどね。
例えば「セックスチェック・第二の性」「やくざ絶唱」は、それに当たると思うし、
この二作を観て“なんと増村らしい”と思う人は多いんじゃないですか?
それに>>979の言う意味の“ドライ”というのは、“人物が感情的ではない”という
意味もあるんじゃないかな? 増村の人物は、それこそ、感情で動くでしょう。
もちろん、増村って、作家としての、かなりドライな目・感覚はあると思いますよ。
そういう人がああいう“過剰な人間ドラマ”を演出する点に個性があるわけで、
そこには、彼が選んだ「ドラマそのものの面白さ」が脈打ってると思いますよ。
料理をする人間の個性が違うだけの話でね。
先に自分は、骨法十箇条は、近松から黙阿弥に至る伝統的な日本の戯曲の
影響下にあるものと書きました。笠原氏は、その伝統の延長線上にいる作家でしょう。
その点で、増村が近松の「曾根崎心中」を自分の企画として撮っているのは、興味深いですね。
こういうものにこそ、分かりやすい、「カセ」や「カタキ」があるわけで、
自レスですが、>>967 の4・5の部分……すなわちドラマのカラーになる部分で、
「骨法十箇条」を当てはめやすいものになっています。
特にカタキなどは、原作よりもずっと徹底したカタキになっていて、
そこがあの映画の卑俗な面白さともいうものになっているのは、面白いですね。
そういう伝統的で通俗的なドラマの面白さに乗っかった増村を、
シネフィルが喜んで観ているのは、やはり単に画面が…って話じゃないと思うんですよ。
つうか、(あなたはちょっと違うけど)皆さん、表層云々って言葉を、
それこそ表層で(w)、つまり、上っ面で捉えすぎじゃないのかなあ。
社会派的なテーマ主義とは離れてるけど、親玉の蓮實の言う説話論的経済性云々は
(個人的には、“決まった尺で巧く語ること”とでも言って欲しいんですがw)
脚本の意義とは、必ずしも無縁じゃないような気がするんだよね。
まあ、専門じゃないので、よく分からないが、そこまで連中、馬鹿じゃないと思う。
987:名無シネマさん
06/11/22 21:51:24 MyGavpin
>>986
>“決まった尺で巧く語ること”
連中がそういう経済性を重視しているのはよく分かるが、残念ながらある種のメタな物語
構造論に堕してしまっていて、やっぱりストーリーテリングなんか見ていないと思う。
ハス本人は分かってやっているんですけど、模倣者は映画の構造的な正しさとか
そういう点ばかり気にして小品を大袈裟に誉める癖があるんですよね。
まあハスは意地悪なので、突然にバカにしていたタランティーノを誉めたり三丁目を誉めたり
フォロワーにさらなる謎掛けを行うわけです。
もうこのスレも終わりですねえ。どなたか印象的なレスを「まとめ」て次を立てて
頂ければ有難いのですが。
988:名無シネマさん
06/11/22 21:51:28 CDzl39h4
>>986
>ドライ”というのは、“人物が感情的ではない”という
>意味もあるんじゃないかな? 増村の人物は、それこそ、感情で動くでしょう。
>もちろん、増村って、作家としての、かなりドライな目・感覚はあると思いますよ。
>そういう人がああいう“過剰な人間ドラマ”を演出する点に個性があるわけで
そうですね
ま、>>983でのドライという言葉は人間同士のつながりよりもむしろ個人を優先する
という意味で使いましたけどでは個人主義的悪く言えば利己的、自分勝手とでも言った方が
伝わりやすかったかもしれません
例えば「清作の妻」での若尾文子が清作を引き止めるための行動もその動機は
相手に対する思いやりというよりはむしろ一方的な自分の感情を優先した
結果なわけで日本的な従来的な感覚とは異質だと思うのです
従来型の日本の人情という意味での感情よりもあくまでも個人の欲望に基づく
感情をもった人物の造形が増村の作品の魅力のひとつですね
こういう造形が自分が観た中では一貫してると思うのでそういったキャラクターが画面の中で
どう動くかということに着目しながら自分は増村作品を鑑賞しますね
増村印の形式、スタイルを楽しむという感じです
989:名無シネマさん
06/11/22 22:13:53 CDzl39h4
>>986
>先に自分は、骨法十箇条は~
自分は映画の個性というのはやはり映像にあると思いますので
ストーリーというのはあくまでも画面を通じてうまく表現されてるかどうか
着目します
画面での人物の動きや表情、配置等を通じて作り手が何を表現しようとしているかを
掴もうとするわけです
物語を「読む」というよりも「観る」という感じです
だから決してストーリー軽視というわけではないのです
例えば会話の場面にしても会話の内容もさることながらカッティングなどと相まった
会話のテンポやリズムに着目するわけです
ですから作り手がスタイルを確立していてくれた方が映像を観る上でもそのスタイルが
どう表現されてるかに集中できますので骨法十箇条のような基礎に基づくシナリオ
というのはむしろ歓迎するところです
ただ出来ることならそれをそのまま踏襲するのではなくそれを基にして作り手の個性が確立された
シナリオを望みますね
990:名無シネマさん
06/11/22 22:24:20 HKHR0B3l
カタキという観念は集団から許容された行為だと思う。日本では親のカタキは昔は
許されたわけだから。つまり客から許容される敵への仕打ち、復讐というわけ
だろうけど。つまりね、儒教的世界なんだと思う。菊と刀の世界。
そういうことに呪縛されてるのがあってもいいけど、あまりにテレビ的でせつな的。
こういったことに立向かったのが山中や溝口、小津なんじゃないの?
彼らは日本人の中で西洋的視点を持った外国人だったんじゃないかと。
具体的には、ことごとく儒教を嫌っていたのではないかと思われる。
溝口ならば雨月物語の滑稽な武士に憧れる男の描き方、レイプされる女の足の裏。
小津ならば、初期のアメリカ映画の模倣、「私、ずるいんですよ」という東京物語。
山中ならば、武士が自殺するという人情紙風船。人の命は紙風船のように・・・
増村にしても成瀬にしても、清順もそう。
中期のやくざものや曽根や神代なども。深作は別。今村もダメ。
つまり、日本の古典芸能なんかに影響されていない。世界で普遍的なもので
あって、日本映画ではない。世界映画なのだと思う。
日本映画はまだひとつも無い。日本という国を描いた映画はいまだ無いという
ことでしょう。日本映画=日本の古典芸能・文化ではない。
日本映画=日本の国を描く。つまり侵略して殺害して戦後何食わぬ顔しているとか
憲兵が暗殺したとか、今なら政治家が銀行とグルになって国民をいじめてるのを
全然違う役柄で描くとかでしょ。
日本の歴史をドラマに投影してごらんってこと。映画作家がしてるのはそういうこと。
クドカンが国を描いている?池袋を描いても日本は描けていない。
西洋的視点も持っていない。つまらない武士道=儒教しか描けない。
つまらない映画は総じて儒教だと思う。
991:名無シネマさん
06/11/22 22:29:43 qEuAJnMU
>>977
俺は自分が脚本家だなんてことは一度も書いてないが?
992:名無シネマさん
06/11/22 22:30:51 f6YE9Aji
>>990
ちょっとおまえ邪魔
993:名無シネマさん
06/11/22 22:43:04 HKHR0B3l
山中や小津、溝口には陸軍のいやらしいスノッブさもわかっていただろうし、
低級な儒教の下級武士の悲哀もわかっていただろうから、
そういうことをじわっと描いて、あくまで外側にいたのだと思う。
雨月の妻の幽霊のシーンが何を言いたかったか。
小津のバーでの軍艦マーチ
山中の転がっていく紙風船。
増村の両手を負傷した兵士などなど。
黒澤が何を描いた?テレビだってブラジルでまだ日本は負けてないヅラ
と叫ぶだけだし。クドカンが何を描いた?ホモの武士がアメリカンバイク
で東海道?アホじゃないの。
戦艦大和が戦争のむなしさを描いたって、説得力無い。
戦国自衛隊やローレライが描いたのは何じゃ??
三丁目が何を描いた?情けなくならないの?恥じないの(儒教か)
西洋的視点ならば”罪の意識””映画への冒涜”はおよなさいってこと。
994:名無シネマさん
06/11/22 22:49:57 HKHR0B3l
まあつまらない~法なんて信じぬことだろうな。
何でそれを強く宣伝するのかわからんがw
つまらにゃいからもう来ないよ
995:名無シネマさん
06/11/22 22:55:20 qEuAJnMU
>>977は決め付け厨房。
996:名無シネマさん
06/11/22 23:02:24 VHG4nTNO
どうせあと4レスさ
997:名無シネマさん
06/11/22 23:04:12 Vsx1/lQS
>>987
>ある種のメタな物語構造論に堕してしまっていて、
>やっぱりストーリーテリングなんか見ていないと思う。
すいません、レス頂いたのに、情けないけど、
ちょっとこの部分の意味が分かりませんでした。
具体的には「メタな物語構造論」って分からないし、
それに組み込まれるとなぜストーリーテリングが見えないかも分からない。
>>989
映画が絵で物語を表現するものだっていうのは全く賛成ですよ。そして……
>ただ出来ることならそれをそのまま踏襲するのではなく
>それを基にして作り手の個性が確立された
>シナリオを望みますね
この部分にも賛成。知った上で、自分の作品を切り開くってことですね。
だから、自分は「十箇条を知ってる人が書けばカタキなしってのもアリでは」
という意味のことを書いたのです。
要は、脚本に関しては、「勉強して、考え抜く」ってことに尽きるのですがw
もちろん、考えすぎず、勢いみたいなものを生かすのも大事ですよね。
それが生かせるのは、ふだんの勉強がなってないとダメだと思います。
(……って、「お前はどうなんだ」と言われたら、割と恥じ入りますが)
998:名無シネマさん
06/11/22 23:07:38 HKHR0B3l
まあ、人に受けないよ。
そんなんじゃ。
1000人中50人ぐらい。ダメでもまともなのは。
すごくできるのは0人でしょう。
そんなもん。
999:名無シネマさん
06/11/22 23:11:42 qEuAJnMU
↓1000は譲るぜ!
1000:名無シネマさん
06/11/22 23:13:37 SYti4Q1s
↑お前にやるよ
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