06/09/22 15:52:00 H6WiPW0h
>>354
あなたの論旨を要約すると、下記のようなことになりますか?
●日本文化および日本語には直接的な言い回しを避ける土壌があり、
アメリカ映画によくある「決め台詞で大盛り上がりする」感動的
シーンを脚本に導入しにくい、また導入したとしても不自然になる。
従って、台詞で表現できる感動に限界がある。
ゆえに、日本の脚本は駄目だ。
↓論を組み立てる要素を分解すると;
○直接的な言い回しを避ける性質を持つ言語では、話し言葉で表現できる
感動に限界がある。
○「決め台詞で大盛り上がりする」感動シーンのない脚本は、優れた脚本
であるとは言えない。
→ 以上2つ、どちらにも異論がありますが、まずはこの認識で正しい
かどうかをお聞きしたい。
また、下記に関しては明らかに認識のずれがあると思います。
>時代と共に変化して標準語として日本語が確立されたのは ちょっと昔
明治時代にいきなり標準語が全国民に強制されたわけではなく、参勤
交代や物流を通じて地方と江戸とは常に交流しており、お互いに言葉
が通じなかったのではありません。江戸期も江戸言葉の演劇は日本中
を廻って演じられていましたし、全国に流通していた物語本=黄表紙
などに書かれている当時の江戸の話し言葉は今とあまり変わりません。