06/08/16 17:07:03 ruFOA4Rj
イノセンスは、愛が世界との関係の比喩になっている映画の一つだが、押井守は最後の最後でそこから逃げる。それは押井守という人間が実生活でも持っていた、現実との直面を妄想との置換で逃げるやりかたのあらわれでもある。
映画の中の恋愛というのは、往々にして世界との関係の隠喩でもある。多くの映画の主人公は、ラストで抱えていた問題が一掃されると同時に、パートナーを手に入れる。
まあこれだけだと、単なるそこらの色と出世のサクセスストーリーだが、もうちょっと気取った映画となると、何らかの理由で世界から孤立して暮らしている人物がいて、その人の前にふとした偶然で相手があらわれる。
それが、世界の差し出してくれた関係修復のための蜘蛛の糸になる―そんな映画はたくさん思いつく。たとえば『ブレードランナー』なんかを考えてもらえばいい。
もちろんこれも一歩間違えると、自分では何もしない怠惰なおたくのところに、労せずして美少女が勝手に宅配されてなついてくれるという、ただの卑しい願望充足話になってしまうので、それを避ける工夫は必要なのだけれど。
その一つのやり方は、そこで登場する蜘蛛の糸たる相手を、何か受け入れがたい変なものに仕立てることだ。『ブレードランナー』はそれを、自分の倒すべきネクサス6型アンドロイドにしたことで実現した。
あの映画の長期的な価値は、その仕掛けがきわめて上手に構築されたことからもきている。
そして押井守監督の『イノセンス』では、その相手はかつての9課メンバー草薙素子の複製品だ。
模擬人格を注入したAIの人形は、近くにやってきた人間が内心に抱いている世界との断絶の根本にあるものを探り出しては再現するという性質を持っている。主人公の場合、それは彼女だった。
そうやって世界が、考えもしなかったような形で差し出してきた存在に対して、主人公はどう振る舞っていいかわからない。いまでも彼女のことは忘れられないけれど、でも一方で彼女の失踪の原因は自分にあるので、
彼女の姿は傷口に塩をすりこまれるような苦痛だ。耐えきれずに一度は銃乱射してみるし、またどうも自分が変な存在でうとましがられているのに気がついた当の彼女も、接触を試みるけれど、失敗してしまう。