05/09/03 05:34:49
伊丹十三は映画の手法をすごく勉強していたと思うし、知識も豊富だと思う。
でも、あれが映画だと言われてしまうと、すごく戸惑ってしまうんだ。
映画っていうのは、光と影の織り成す空間で、その空間で物語が紡ぎだされる
というものだと、自分は思っている。つまり、よくできたストーリーだけが映画
ではないと思うんだ。81/2なんて、最後のワンシーン以外は、とんでもない
妄想のオンパレード。だけど、映画への愛が感じられる作品だと思っている。
一作目の「お葬式」は面白いと思ったけれど、あれは「グランドホテル形式」と
呼ばれる手法で、おもしろくない訳がない。漫才で言えば、決まり手みたいな
古い手法。それでもなお、そこには新味があったし、あれはあれで良かった。
でも、**の女シリーズは、なんだろう…と思った。テレビの枠で十分じゃないか
と思っているんだ。
津川は、たけしの使う役者と対極にいる、芝居芝居するタイプだから、
役者は馬鹿がいい、みたいなたけしの発言に、抵抗を感じていたのかも。