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真田家8代当主真田幸貫公は、寛政の改革で有名な松平定信の次男である。
幸貫は8代将軍徳川吉宗の曾孫にあたることから、
この後真田家は外様から譜代扱いとなり、幸貫も老中(海防掛)として活躍する。
この事で真田家は海外の事情に通じるようになり、真田家は早くから開国派だったようである。
幸貫は砲術に興味があり、新式の大砲二百門小銃三千挺を常備し列藩随一と恐れられたと言う。
また、藩校となる文武学校を作るなど武芸を奨励し、殖産にも励み、
祖祖父吉宗に習い目安箱を設置し民意を汲んだという。
佐久間象山を江戸へ送り蘭学を学ばせたのも幸貫である。
真田家は後に伊予宇和島藩伊達家より養子を迎える事になり
現在の真田家は伊達家の血筋を継承している。
三九郎は幸村の四女あぐりを幕府に無断で蒲生家に嫁がせた事を咎められ改易されている。
ただ、三九郎の長男・一明が再び旗本としてお家を復興させている。
この一明、その養子一重も真田家の姫を妻に迎えるなど、
三九郎の時代以降も真田家とは深い係りをもつようになる。