05/06/03 10:41:15 IeAqZZMZ
>>747
君みたいな意見はよく聞くんだが、
なんで柘植への感情移入が前提になってるのか理解できんなあ。
感情移入できんでも嫌いでもかまわんだろ。映画の構造としては、
つげは単に冷戦下の戦後日本が後回しにしてきた「危機の認識」のツケの象徴であって、
だから死と引き換えに「我地に平和を与えん為に来たと思うなかれ」と言う立場を得るんだから。
つげが個人であるのは南雲との関係だけであって、それは映画の横軸でしかない。
だいたい「革命ごっこ」って批判が意味不明だよ。
アレはクーデターじゃなくてテロだって明言されてるんだけど、ちゃんと見てる?
>>750
つげは存在感はあってもリアリティーはない。
あんだけの出番で人間的リアリティーなんてありえない。
存在を秘匿される事での存在感を高める手法が映画手法でもほぼ成功してる。それだけ。