05/05/16 10:55:56 qRxqzhL9
映画というものは、その映画を観る人の知性と教養と人生経験の総和に見合った、興奮と感動しか与えられないものだと思っている。
そういう意味で、映画とは観客の想いを受け止める 『壁』 のようなものだ、と僕は思っている。
ボールを投げるのはあくまで観客の側であり、つくり手はそれを弾き返しているに過ぎない。
少なくとも僕の場合、映画というものは、つくり手側のメッセージや思い入れを投げつけるものではなく、ピッチャーはあくまで観客であるという意識が強い。
自分のメッセージを叩きつけるために映画をつくる人もいるが、正直言って僕は違う。
主張らしきものを込めるにしても、それは映画監督個人の中で完結・納得するものではなく、観客がそれを良しとするかという場所にまで回帰してくるのである。
ワイアード1998年掲載