05/04/23 11:18:06 Q7V6p9TI
>>119
当時(83)宮崎は過去の東映長編映画や旧ルパン、名作シリーズ、コナン、カリオストロ
の実績で、既に権威として認められていた存在。
「ホルスのスタッフ」として、業界では古くから一目おかれた存在であったらしく、
その事をマニアに専門誌(主としてアニメージュ・恐らく鈴木の仕業)が宣伝した形になった。
押井と宮崎の初回の対談は有名で、今でも宮崎駿の「出発点」という本に載ってて読める。
手元に無いので正確に引用はできないが、
全般にパロディにもならない何処かで見たようなシーンばかりでオリジナリティに欠ける、
ラムは(押井が明確な意図で演出したという)個人主義者ではなく、単に無責任な人間。
デザイン設定が辻褄が合わず、いい加減な作り。
って感じでクソミソ。
恐らく宮崎には「オンリーユー」を自分が批判していた、アニメブームを象徴する作品の
ように思えたんだろう。
前半で言い過ぎたと思ったのか後半ではTVシリーズのスタッフの仕事を誉めて
フォローを入れているが、最後の締めは
「今回は駄目だったけど次は頑張れよ」押井も「次は頑張ります」。
(うる星やつらは商売として成立していたので、当然次作が予想できた)
押井と宮崎の絡みは此処で終わらず、演出論等で論争し、何時の間にやら
アニメーションブーム批判と、それに迎合した業界の現状を嘆くことで息統合。
作品そのものより、論客としての露出度が高くなり
不条理ギャグを理解しないアニメーションファンの保守性を攻撃したりして、
それをテーマに含めた(とされる)「ビューティフルドリーマー」を「次」
として作る。
これが押井の発言を多く載せたアニメージュや、キネマ旬報等で評価されて
作家(監督)として認知。
「うる星」というより、映画の「ビューティフル・ドリーマー」が押井の出世作
とする方が適当。