04/04/21 22:50
>>819
残念ながら、そしていつもながら、まったく的外れですね。
そうやって、自分のミステリ観と、自分の評価する作品だけを基準に
あるTVシリーズを評価する姿勢は、独り言以上の価値のまったくないもの
だと思いますよ。
なぜなら、あなたの視点には「自分」しかなくて、肝心の「コロンボ」という
シリーズに対する理解がまったくないからです。
1:
あれを「プロバビリティに頼った犯罪」と考えるのはナンセンス。
なぜなら、コロンボの犯人は基本的に「特殊技能」を持った人物として
設定され、その才能やテクニックや知識が、犯行時にある種「万能」
として描かれるのが、シリーズのお約束であり、魅力でもあるから。
この場合、大佐が自分の生徒の心理を確信を持って誘導できる、というのは、
その「技能」として大前提になっているのであります。
しかも、その後、被害者は、特にその心理が読みやすく行動は予測が
容易であった、という丁寧な手がかりが提示されているのですから、
十二分でありましょう。
他の作品のいくつかを考えてもそうでしょう?
例えば、特殊技能ではないですが、「闘牛士の栄光」で、被害者を
リングに誘い出す方法も同じことでしょ? 「自分にとっても
クーロは息子と同じだ」と言っておいて、「自分一人でもやる」と
いうことで、父親はリングに出ざるを得なくなる。実に見事な
心理操作(「読本」は両作で心理操作の見事さにさりげなく
触れている)ですが、あなたの説ではあれもプロバビリティですよね。
繰り返しと多様な犯罪パターンの開示』なんてやってしまったら、
テンポが悪くなり、そもそも「刑事コロンボ」じゃなくなるじゃないですか。
だいたい『プロバビリティに頼った犯罪』を、あの時期のスタッフが
使うわけないと思いませんか?
自分の才能を駆使して、確信(過信)を持って(ある種単純に)
犯行を行なうのがシリーズの魅力なのに。