06/03/23 01:11:09
関西の言葉は美しい。最近そう思うようなった。
私は横浜に生まれて東京で育ち、京都には5年前から住んでいる。(中略)
差別というのは、悪意のないときがもっとも扱いにくい。このような差別は、「無知」と「無関心」
に依拠している。関西の敵、全国マスメディアは、いまも関西攻撃をゲリラ的に続けている。
例えば、外国映画の翻訳版や漫画・アニメなど、本来、日本の特定の地域と無関係なストーリーで、
「関西弁」が出てくるは要注意である。格好よく、洗練されたヒーローやヒロインは「標準語」を
話し、関西弁を使うのは、だいたい、ひとくせある役か、ひどいときは悪役である。
差別の撤廃が社会の安定的発展に不可欠と考える米国では、いろいろな団体がマスメディアを
厳しくチェックしており、メディア側も差別的表現に対しては、間接的なものに対しても
非常に細かく神経を使う。例えば、映画などでの犯罪者役は、特定の人種にかたよらないように
常に配慮されているし、オペラやバレエなどでは、中世ヨーロッパが舞台の物語でも、
いろいろな人種がヨーロッパ人として配役されるなど、可能な限り、人種や性別、
その他に基づく先入観を排斥するような努力がなされている。
関西の発展を心から願う我々としても、同じように、コメディ系の登場人物だけが
関西弁を話すアニメやドラマを本格的に告発する運動をおこすべきはないだろうか。
これまでも、そのような苦情がドラマ製作者などに届いたこともあったかもしれないが、
そうした問題提起に対して製作者側が公に謝罪するようなニュースを私は聞いたことがないので、
まだ、「無意識」の先入観を「意識」レベルに高める十分な努力がなされているとは思われない。
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