07/09/19 20:53:59 JFYkeV8m0
>>197
言語とは、ややこしい理屈は抜きにして、どんどん変化していくものである。
「取れる」はいいが、「見れる」はだめだなどといっても、
そんな主張が浸透するより早く言語は変わっていく。
しかも、「見れる」という言い方には便利な面がある。
それは、「見られる」だと、「先生が面倒を見られる」のような
尊敬の用法や、「あられもない姿を見られる」のような受身の用法との区別がつかないのに対し、
「見れる」なら可能の用法だということが明瞭だからである。
また「ら」抜き言葉という表現自体が間違いであるという見方もある。