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井筒 和幸(いづつ かずゆき、1952年12月13日 - )は男性映画監督、タレント。奈良県大和郡山市出身。
奈良県立奈良高等学校卒業。
来歴
「井筒和生」の名義で1975年 ピンク映画『行く行くマイトガイ 青春の悶々』を初監督。
上京後もピンク映画を続け、そのうちのひとつ、『色情女狩り』から「井筒和幸」名義と
なる。その後、『ガキ帝国』がヒットし、『赤い復讐 暴姦』を最後にピンク映画から遠ざかる。
1991年9月映画『東方見聞録』撮影中に当時21歳であった俳優の林健太郎が鎧を着けたまま
人工の滝壺に入り溺死する事故が発生し社会問題となった。製作を担当したディレクターズ・
カンパニーは倒産。
映画評論などをおこなうようになるが、自分の感性と合わない作品、特に大作や話題作を酷評していた。
このスタイルに対し、個性と見る向きもあるが批判も決して少なくなく、結果的にそのような番組
への出演は限られるようになった。
「市民派」として討論番組にも多く出演する。ある番組で評論家の三宅久之と口論になり、
後に自身のコラムにおいて三宅にパッチギ(朝鮮語で頭突きの意)を食らわそうと思ったと
書くなど映画評論以外にも過激な発言が目立つ。
以前より映画『ALWAYS 三丁目の夕日』については否定的で至る所で酷評していた。
しかし日本アカデミー賞が催された後の2006年3月16日付けの東スポにて「初めて
見たが学芸会もいいとこ、4コマ漫画もいいとこで、こんなゲテモノがアカデミー
12冠だったのかと改めて吃驚した」と語っており、今まで同作品を見ることなしに
批判していたことが判明した(このときも見ている途中で寝入ってしまったらしく、
全てを見ずに批判している)。