07/11/09 21:47:03
小林賢太郎
「いざ、お笑いをやり始めて、最初はお笑いというものを『学問』としてとら
えてたんですよ。お笑い番組のビデオを買ってきたり、テレビを録画したりし
て、『研究』したんです。‘松ちゃん’みたいになりたいと思って。その頃、
七年位前かな、お笑いを志すひとたちの中で松本人志っていうひとはスターな
わけです。で、『松本人志を嫌う』ことが『俺の笑いは新しい』ことだってい
う波があったんですよ。それを主張しているひとたちがすごくカッコ悪く見え
たんですね。僕はダウンタウン観て大爆笑しているのに、『松本の笑いはわか
らん』とか言ってる作家志望のやつがいたりするんですよ(笑)。なんでかな
と思って。それで、その‘アンチ松本派’がカッコ悪いと思うと、松本さんを
好きな側にいなきゃいけないじゃないですか。でね、その呪縛みたいなのが結
構あったんですよね。最初、ラーメンズって漫才やってたんですよ。さっき、
絵画以外の表現手段ということを言いましたけど『お笑い』の中にもいろいろ
な表現手段ってあるわけですよね。それで、自分の肌に合うものをいろいろ探
さないといけないってことでその後、紙芝居みたいなことやったり、被り物被
ったこともありましたし。‘アンチ松本派’に対する僕を更にもう一歩ひいて
みられるようになった時、やっと自分の作品っていうのがつくれるようになっ
てきた気がしたんですよ。そこへきて初めて、本当にお笑いをつくるってのは
こうゆうことかって。見よう見真似でできるものじゃないんだなって思ったら
、そうか、本当は自分の中から出さなきゃいけないのかって。だから、お笑い
を『研究』してたってこと自体が間違ってたんですよ。(略)」