08/03/27 15:18:32 otyt7Msb
「南京事件ではお恥しい限りです。
南京入城の後、慰霊祭の時に、シナ人の死者も一しょにと私が申したところ、
参謀長以下何も分らんから、日本軍の士気に関するでしょうといって、師団長
はじめあんなことをしたのだ。
私は日露戦争の時、大尉として従軍したが、その当時の師団長と、今度の師団
長などを比べてみると、問題にならんほど悪いですね。日露戦争の時は、シナ
人に対してはもちろんだが、ロシヤ人に対しても、俘虜の取扱い、その他よく
いっていた。今度はそうはいかなかった。政府当局ではそう考えたわけではな
かったろうが、武士道とか人道とかいう点では、当時とは全く変っておった。
慰霊祭の直後、私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った。その時は朝香
宮もおられ、柳川中将も方面軍司令官だったが。折角皇威を輝かしたのに、あ
の兵の暴行によって一挙にしてそれを落してしまった、と。ところが、このこ
とのあとで、みなが笑った。甚だしいのは、或る師団長の如きは「当り前です
よ」とさえいった。
従って、私だけでもこういう結果になるということは、当時の軍人達に一人で
も多く、深い反省を与えるという意味で大変に嬉しい。折角こうなったのだか
ら、このまま往生したいと思っている」