07/08/13 05:50:23 CsPeocQ2
13時と18時の上映時間で前者は満席だった。意外。
俺、人間の(世界の)友達ができたよ・・・。鋭く行間を読むとこうだとわかる。
友達というのは犬のオッサンの事に他ならない。
テレビ局にクゥを売った時点で一家との袂は分かたれたもので、
東京タワー以降のクゥの人間と一家に対する感情はそれまでとは打ってかわってしまったのだと、
理解できる。せめて脇に除けてやればいいものを放置されたオッサンを見てクゥはオッサンの言葉を思い出す。
「人間はすぐに変わってしまう」。家に戻ったあとの「人間にもいい奴が~」云々は全て演技と社交辞令。
今度は何をされるかわかったものではない。キジムナーに言った「コウイチ達に会いに行く旅」は一時的なごまかしだ。
この作品はいじめや執拗なパパラッチなどの人間の汚い部分を浮き彫りにし、
友情愛情などと謳われるのは所詮水物であるという痛烈なメッセージを暗に込めたものであろう。田中一成。
・いままとめる映画の突っ込みどころ
①オッサン放置。人間はす(ry
②父親がおとりになった後、誰一人いなくなっているのはあまりにも不自然。何が起こっているのかわからない野次馬や
二段構えで現地に残るパパラッチは必ずいるはず。
③相撲の手前のシーンで突き飛ばされた華奢な体のクゥをあまり心配する様子がないのは、
オッサン放置の例に見られるように、前の飼い主と同様になる可能性を潜在的に秘めているのではないか。