07/05/27 06:42:39 K9i0r4QZ
井筒が週刊新潮のブックレビュー角田房子「閔妃暗殺-朝鮮王朝末期の国母-
で土地収奪に言及していたので、関連コピペ
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朝鮮の米は、1918年の米騒動に伴なう、米不足のときを唯一の例外として、
日本にとって不必要であった。それ以外では、日本は米が過剰で、価格の暴落防止のため、
内地の日本人農家にとって朝鮮米の日本への移入は、「敵」であった。現実に、1930年と1931年には
大豊作によって米価は暴落した。日本の農家は朝鮮米の移入制限を強く要求した。
1934年、この日本の農家の要望に応じた臨時米穀移入調節法案が策定されていた。
この法案の国会上程を阻止したのが、朝鮮米の品種改良の大功労者である石塚峻であり、
また朝鮮総督府であった。
当時の朝鮮農家は米を日本に売って高額の現金収入を得ていたから、朝鮮農業を愛し自らの人生を
朝鮮に捧げた石塚や総督府は朝鮮人のこの現金収入を守るために奔走したのである。
朝鮮総督府は日本農民にとって「反日」権力であった。
歴史を偽造する韓国 徳間書店 中川八洋著
1919年、測量されて所有者が確定した面積は、487万町。
うち、水田/畑が433万町。土地所有者は350万人と確定された。
この所有者のほぼすべてが朝鮮人である。
日本は農地の没収は全くしていない。
所有が明確でない限り、課税はむろん売買等の取引も可能でなく、
この土地調査は長期的にみれば韓国の近代化を決定づけた偉大な大事業であった。
一部の朝鮮人農家の不満は、面積と地価の決定とともに近代的な土地所有権を法律的に
確定した結果、自作農の農地と思っていたのが小作地であることが判明し、国有地や両班階級の
所有へと変更されてこの自作農が小作農に転落するケースがかなり多かったことである。
が、それは、客観的にいえば、朝鮮人間の問題であって、日本人には全く無関係であった。
そのことによって得をした日本人はゼロであるからだ。また国有地となり朝鮮総督府等が管理することとなった
農地の、小作人の耕作権は百パーセント保証された。
そのために農地を追われた朝鮮人は一人もいない。
歴史を偽造する韓国 徳間書店 中川八洋著