07/07/10 16:04:49 DBTomvkb
>>179
>苦痛をもたらす権威に抗することができなかった
特攻にいたるまでには、それなりの経緯がある。
真珠湾、フィリピン渡洋爆撃、マレー沖海戦など、初戦で活躍した艦爆、艦攻、陸攻などの爆撃機が、中途から、出撃すれば打ち落とされるだけで、効果的な攻撃ができなくなった。
もともと攻撃機、爆撃機は機敏に反撃できないのに、防備が薄く、敵戦闘機に狙われると簡単に堕とされる。
味方戦闘機(零戦)が圧倒的な力を誇って制空権を得ていた間はよかったが、力が拮抗してくると、出撃すれば戦果無く死ぬ確率が高く、味方護衛戦闘機への不満が高まる。
それで、零戦が盾になって爆撃機を守る、といようなことも試みられたが、かえって共倒れになることが多い。
ならば、自由に動ける零戦が爆撃してはどうか、ということになってくるが、爆弾を抱えただけで自由が奪われ、敵戦闘機に遭遇すれば爆弾は捨てるしかない上に、もともと爆撃機ではない零戦で、有効な爆撃は難しい。
それでいっそうのこと、零戦が爆弾を抱いてつっこめば、という発想になった。
>>176の宮野善治郎大尉(当時)は、艦爆隊からの不満に答え、自ら盾の役割を果たすことを申し出て、戦死した。
彼は、ミッドウェーの敗戦以前に、「機材(零戦)の生産が追いついていない、いまに搭乗員も足りなくなる」と、敗戦を予感していた。
飛行機の生産やら搭乗員の養成やらが短期間で改善されるわけもなく、正しい予感だったが、すでに開戦してしまったものは取り返しがつかない。
自分の持ち場でできるだけのことをするしかない、しかし、それをなせばおそらく死ぬだろうと、戦死は覚悟していたと思われている。
知覧の特攻は、沖縄戦における菊水作戦。
なにもしなければ、沖縄は無差別の空爆、そして艦砲射撃にさらされたまま、米軍上陸となる。
なにもしないで沖縄を見捨てることはできないが、追いつめられた日本の戦力では、特攻しかうつ手がない。
特攻が作戦としていかに愚劣でも、現実に、米艦艇36隻を撃沈し、より多数の艦艇に損傷を与えた。米軍戦死者は5000名近くにのぼり、日本側の戦死者3000名あまりより多い。
沖縄への蹂躙を黙って見ていることができない以上、ほかに打つ手がないのだという認識の前に、
あえて自分を捨てる決心をした者が、気の毒なだけとは思えない。