07/06/08 02:26:49 CLf5y8+W
白と黒がお互い足りないところを補完しあって生きてるっていうことでは
まあわかりやすいんだが、白に足らないネジがあるとしたら、生活能力的な
もので、あまり存在の本質にかかわるものって感じがしない。白は
存在の在り様としては自足してる無垢なんだな。
一方で黒は内面に虚無を抱えており、白の純粋無垢さだけが世界に対する
絶望を食い止め、白を守ることが存在証明になっているので、どちらが
どちらに依存しているかといったら、存在の本質的な部分で白に依存してる
黒のほうだというのはジジイが指摘してる通り。
従ってこのドラマは黒がいかに白なしで存在的安定を獲得しうるかという
サイコドラマとして成り立っているわけで、蛇やネズミたちのエピソードも
黒がより絶望を深くし、イタチと出会うための布石の役割を果たしていると。
イタチとは悪ではなく、善悪を超越して黒の中に住まう虚無であり、哲学的にいえば
完全なニヒリズム。白の存在に救われていた黒は世界に絶望はしていても
世界の根底的な虚無性からは目をそむけ、まだまだ完全なニヒリズムに達していなかった。
戦闘能力においても、人間的な感情を残しているものと、完全な殺人マシーンとでは
感情的なブレが一切ない殺人マシーンのほうが強い道理。黒は最終的にイタチと対面することで
自分が抱えている問題に正面から向き合うことになったわけだが、
世界の虚無性を認め、なお虚無に取り込まれず、世界の存在を肯定する、
そういうニーチェ的な価値の変換が起こるためには、世界をあるがままで
肯定するような白の自足した存在を思い出す必要があった。
したがって絶望のドン底で完全な虚無を一度は体験したことで、
もはや虚無から逃避せず、世界を虚無のままで肯定する境地を得た黒は
存在的な安定を取り戻し、白と再会するときにはもやはかつての黒ではない、
虚無を我が物とした黒(イタチからの忘れ形見として手に傷を負うのは
これからも絶えず虚無と向き合って生きることの暗示だろう)は、前のようには
白に守られていない、しかし白を守ることの価値を知ってる黒に成長した
ということだと思われる。