08/08/15 07:13:34 Ny0HqLjP0
真正愛、真正勇気、真性臆病の他に、坊さんの「真正不臆病」もあるわけだ。
勇気よりも臆病を排除するに特化した、もはや三位一体の外側の存在。
勇気はそこまではいかない、あくまで臆病と対戦することは認めている。
根本的な存在性から臆病を否定するのは、自己否定にも繋がってしまうから。
仏道や儒道のような、無手勝流の宗教性の十分なアンガージュマン、武士道。
あくまで「十分」である、八分や十二分ではなく。八分や十二分を十分に留める。
友好他愛(多対多)<孤軍奮闘(一対多)<夫唱婦随(必勝的な一対一)<夫婦漫才(拮抗する一対一)
日本人(二本人?)の中に連綿と受け継がれている人間的精神性への位階。
だからこそ勇気を凌駕する愛、スサノオを凌駕するアマテラスをも好み欲する。