08/04/23 19:24:44 t0VZBqAT0
左側に「どこまでも完全に厳密に正当な人間」がいて、
右側に「どこまでも完全に厳密に不当な人間」がいる。
どっちもどっちのように思えるが、ひとつ決定的な差異がある。
それは、「どこまでも完全に厳密に不当な人間には、どこまでも完全に厳密に正当な人間は、
どこまでも完全に厳密に不当に見えるのに対し、どこまでも完全に厳密に正当な人間には、
どこまでも完全に厳密に不当な人間はあくまで、どこまでも完全に厳密に正当ではなく、
どこまでも完全に厳密に不当に見える」ということだ。
そして、「どこまでも完全に厳密に不当な人間には、どこまでも完全に厳密に正当な人間が、
どこまでも完全に厳密に不当に見えるからこそ、どこまでも完全に厳密に不要に思えるのに対し、
どこまでも完全に厳密に正当な人間には、どこまでも完全に厳密に不当な人間が、実際
どこまでも完全に厳密に不当に見えるにも関わらず、どこまでも完全に厳密に不要だとは思えない」ということだ。
つまり、「どこまでも完全に厳密に不当な人間は、どこまでも完全に厳密に不当であればこそ、
どこまでも完全に厳密に不当であることは、どこまでも完全に厳密に不要であると考えるのに対し、
どこまでも完全に厳密に正当な人間は、どこまでも完全に厳密に正当であればこそ、
どこまでも完全に厳密に不当であることもまた、どこまでも完全に厳密に不要だとは考えない」ということだ。
よって、「どこまでも完全に厳密に正当な人間が、どこまでも完全に厳密に不当であることを
どこまでも完全に厳密に不要だとは考えていないことを、『どこまでも完全に厳密に不当な人間が
どこまでも完全に厳密に不当であることを放棄した、どこまでも完全に厳密に正当な事例である』として、
どこまでも完全に厳密に不当な人間にとっては、どこまでも完全に厳密に不当だった、すでに
どこまでも完全に厳密に不当ではない人間を、どこまでも完全に厳密に不当な人間が、
どこまでも完全に厳密に不当に受け入れるきっかけにすればよい」ということだ。
ここに、「どこまでも完全に厳密に正当な人間と、どこまでも完全に厳密に不当な人間が、
どこまでも完全に厳密に正当な人間にとっては、どこまでも完全に厳密に正当であり、
どこまでも完全に厳密に不当な人間にとってもまた、彼ら自身にとってはどこまでも完全に厳密に正当であるところの、
どこまでも完全に厳密に不当な理由によって和解を果たす準備ができた」ということだ。
不一