08/03/20 03:37:31 abpDEw8oO
マリ子を侮蔑するのです。もうちょっと正確に言えばマリ子の“性”を。
男に犯される運命にあるその女という性をどこまでも侮蔑する。
その上マリ子を犯したい。いっぱいいっぱい、たくさん犯したい。
それはとっても侮蔑的なことなんです。侮蔑的な男の“性”です。
だから存分に侮蔑してください。
侮蔑し合うから一緒にならないのではなく、侮蔑し合うからこそ一緒になるのです。
お互いの侮蔑を解消することではなく、お互いの侮蔑を尊重することこそが真の愛なのです。
愛は綺麗事でなければ、どうしようもない罪でもありません。
意識の根底に相手に対する侮蔑が潜んでいる点では十分に汚らしいが、
その侮蔑を尊重して一緒になろうとする姿勢は一種の罪滅ぼしであるといえる。
どちらとも愛のいち側面なのであって、侮蔑なき愛も尊重なき愛も本当の愛とは呼べない。
愛に関する種明かしはこれで終わりです。その上であえて言うのです。
マリ子さん、貴女を愛しています。
貴女を心から侮蔑し、にも関わらず尊重する、つまり愛している。
どこまでもどこまでも侮蔑し、どこまでもどこまでも尊重する、
どこまでもどこまでも愛してる。
どこまでもどこまでも・・・
501:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/20 10:37:04 abpDEw8oO
男が男らしくあるためにはある程度女を侮蔑し、
女が女らしくあるためにはある程度男を侮蔑する必要がある。
男でないものが女であり、女でないものが男だから。
かといって男や女がそれぞれ同性愛に走ることもこれまた空しい。
なぜならそれは、男と女が相手への―侮蔑を超えた―尊重を欠いていたということだから。
侮蔑によってお互いを突き放し合い、ある程度独立することで各自の魅力を磨き、
尊重によってまた近づき合い、他のどこよりも緊密な家庭を築き上げようとする。
遺伝子サンプルの保存という生物学的な観点から見ても、
男と女が一旦は突き放し合うという姿勢は理にかなっている。
一旦は突き放し合った男と女とが、もう一度近づき合う意義は、
身体的快楽よりはむしろお互いの精神性を学び取ることにある。
身体的快楽だけなら同性愛でもよい。
男は女の、どこまでも自己を拡張していく精神性を、
女は男の、どこまでも自己を凝縮していく精神性を
学ぶことにより、己の精神性と相まって全知全能にも等しい精神性を手に入れる。
お互いへの侮蔑を超えてまで尊重し、男女が近づき合うことの価値はそこにある。
502:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/20 10:51:38 abpDEw8oO
男と女が相まうことによって生まれる全知全能の精神性は、
子種という新たな創造をも約束する。
しかもその子種は新たな男女に分かれて、新たな精神性を築き上げる旅に出る。
男と女の永遠の旅路。
今はお互いが若者であることによってまさにその旅路の途上にあるが、
年取ってヨボヨボの爺さん婆さんになれば、否が応にもその旅路から降ろされる。
その時までの苦労であるとも言えるし、楽しみであるとも言える。
お互いにがんばりましょう。そして「バーカ!」
503:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/20 19:57:01 abpDEw8oO
今さら愛の正体に気付いたからって怖気付いてちゃいけないよ?
裏側に異性故の侮蔑を隠している尊重だからこそ愛と呼ばれる。
侮蔑を伴わない愛はただの尊重であって愛ではない。
つまり、ただの尊重のほうが本当は愛よりも貴いのであって、
お互いを侮蔑によって矮小化させる点にのみ愛の固有性がある。
ただの尊重に比した場合の愛特有の効用は、相手に対する侮蔑という前提を
己の自主的な尊重によって突き返そうとすることに自己満足を抱く点にある。
元々が生理的な嫌悪という最悪の事態であるにも関わらず
僕私はこんなにもきみあなたを尊重しているんだという自負、
これが愛によって得られる快感(幸福)の正体。
それでもきみあなたは僕私を愛するのですか?という話。
そもそも愛などにどれほどの価値があるのかといえば、
相手への侮蔑という負の側面と、尊重という正の側面を差し引きしてゼロ。
そう、愛の価値は紛れもなくゼロなんだ。
だからもう、愛してるとか愛してる?とか愛し合おうなんていう話はなしにしよう。
その代わりにお互いをただ尊重し合おう。
男女間の侮蔑という愛の暗黒面を一掃した純粋なる尊重こそは、
これからの男女関係にもふさわしい。
504:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/20 20:30:19 abpDEw8oO
愛を超えて尊重し合おう―という話。
ただの愛―侮蔑を超えた尊重―は、それだけでも手に入れるのは難しいが、
実はそれだけでは何の価値もないのであって、さらにわれわれはその愛を超えて
相手を純粋に尊重することにより初めて価値ある関係を築き上げられるのです。
愛は家庭を作り、子供を作る。だから愛にも価値はあるのじゃないか?といえば、
家庭や子供を作るにしても、それらを持続育成させるためにはすでに
愛を超えた尊重を必要とするのだから、やはり肝心なのは
愛よりも愛を超えた尊重であるといえる。
愛を超えた尊重の伴わない愛が離婚を生み、児童虐待を生む。
いかに愛を愛によって保全するかばかりが論じられる昨今において
愛を超えた尊重こそは愛を守る真の武者であることに気づく人間は少ない。
505:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/20 21:56:39 abpDEw8oO
愛は愛であり、愛を超えた尊重は愛を超えた尊重である。
愛を超えた尊重に愛の常識は通用せず、愛と愛を超えた尊重とは互いに独立しているとみて差し支えない。
だから愛は愛を超えた尊重を己の常識で無闇に拘束してはならないということもいえる。
その代わり愛を超えた尊重は愛の過不足を時に抑え、時に補う。
愛によって極端な幸福と不幸に二分化された社会は、愛を超えた尊重によって
“しおらしい”社会へと一変する。
小さな幸福にも満足し、大きな不幸にもへこたれないしおらしくて、力強い社会に。
506:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/21 13:02:06 vEauZyOcO
愛を超えた尊重があるから愛し合わないというのではない。
愛を超えた尊重は愛があった上で、さらにそこに上乗せする尊重のことを指す。
愛を超えた尊重があればこそ十分に愛し合うこともできるといえる。
ただの愛は己の愛を向こうの愛よりも押し通そうとする自我にまみれているが、
愛を超えた尊重の伴った愛は己の愛よりも向こうの愛を優先させようとする譲り合いの心を持つ。
ただの愛は余裕のない愛=精神的貧者の愛、愛を超えた尊重の伴った愛は
余裕のある愛=精神的富者の愛であるといえる。
(ちなみに今の世の中、精神的貧者はむしろ実際上の富者のほうに、
精神的富者はむしろ実際上の貧者のほうに多くいるようである)
507:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/21 22:30:37 vEauZyOcO
愛には実は、大小がある。
大きな愛とは、相手に対する侮蔑とそれを突き返す尊重との両者が大きい愛のことであり、
小さな愛とは、そうでない―侮蔑と尊重の振れ幅が小さい愛のことである。
愛を超えた尊重を容易に手に入れるためには、愛はむしろ小さいほうがいいが、
残念ながら愛は小さければ小さいほどそこで得られる快感も少ない。
そのため人々は小さい愛よりも大きい愛を選び、結果として愛を超えた尊重を手に入れ難い窮地に陥る。
より価値があるのは愛を超えた尊重のほうだが、快感に満ちているのはむしろ愛のほうだ。
それ故人々は愛を超えた尊重よりも愛のほうを優先しがちになり易い。
愛がどんどん大きくなって、尚且つ愛が何よりも優先されるとあっては、愛を超えた尊重に立場はないといえる。
愛が大きくなり、優先されることはもはや仕方のないことであるにしても、
それでも我々は愛を超えた尊重を手に入れることを必要とする。
愛がどこまでもどこまでも大きくなるならば、さらにそれを超えて相手を尊重し、
愛がより多くの人々によって優先されるならば、それに逆らって
愛よりも愛を超えた尊重を優先させねばならない。
508:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/21 23:27:34 vEauZyOcO
愛を超えた尊重を育む能力には、男女間で大きな開きがある。
一般に、男よりも女のほうが愛を超えた尊重を育む能力に欠ける。
ただの愛によって精神的にも身体的にもより深刻な影響を被るのが女のほうだから。
だからといって女が男に愛を超えた尊重の育成を任せっきりにするのは後退的なことだ。
それこそ女は男よりも劣る生き物だと罵られても何の文句も言えない。
女は黙って家事と育児だけに精を出してろと言われたとしても何の反論もできない。
真に女が男と対等な立場に付こうというのならば、女もまた愛を超えた尊重を育むことをたしなまねばならない。
例えそれが男の猿真似―故に婦人の仁だなどと揶揄されることがあったとしても、
何の手だても取らないままにただ権利ばかりを主張するよりはよっぽど認められる。
509:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/21 23:50:41 vEauZyOcO
男の立場から言わせてもらえば、逆に女であればこそ
愛を超えた尊重を抱くことにも価値があるんじゃないか?とすら思う。
男は元来、他者を尊重する能力に長けている、だからこそ主体的に社会を築き上げてこれた。
その男が今さら女に対する愛以上の尊重を抱いたからとて、何の驚きにも値しない。
仮に男が女に対し愛を超えた尊重を抱かないとすれば、それは「例えこっちがより大きな
尊重を女に向けたからって、何の尊重のお返しもないだろう」という一種の諦観による。
「女なんて所詮そんなものなんだ」という男の側の勝手な見くびり。
もし女のほうがその男の側の見くびりを裏切って、相手を愛以上に尊重することがあったとすれば、
それこそ一大事。新世紀の革命であるといえる。
そういう意味では、むしろ自分は男よりも女に期待する。
いま社会を変えられるのは女の側。変わらなきゃならないのも女の側。
女が変われば男も変わる。そうして新しい社会が築き上げられる。
510:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/22 12:16:31 0fNF8yoTO
「より愛し合うために会う」から「愛を超えて尊重し合うために会う」へ―
全てを愛の中で完結させようとするから、蔑みや憎しみや怒りが募り、ひいては争いや別れに発展する。
侮蔑と尊重という愛の両側面のうち、より容易に快感を与えるのは侮蔑のほうだから。
どこまでも肥大化する相手への侮蔑を十分に抑え込むためには、侮蔑と同程度に相手を尊重することではなく、
侮蔑以上に相手を尊重することを必要とする。そして侮蔑以上の尊重こそは、愛を超えた尊重に他ならぬ。
愛が愛であり続けるためにも、人々は愛以上に相手を尊重することを学ぶべきである。
愛があるから愛以上の尊重を必要とし、愛以上の尊重があるから愛が守られる。
全ての愛よ永遠に。愛を超えた尊重の下で。
511:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/22 20:07:37 0fNF8yoTO
尊重は優しさと似ているようで微妙に異なる。
優しさはただ相手に快感のみを与えることに終始するが、
尊重には相手の尊さをわきまえているが故の遠慮も伴う。
いわばただの優しさが、相手への節度を保った姿が尊重であり、
その意味では尊重のほうがただの優しさよりも一層レベルが高いといえる。
人間ただ優しけりゃいいってもんじゃない。
ただ優しいだけじゃそれは甘やかし、甘やかしのもとに育てば当然わがままになる。
わがままが募れば他者を傷つけ、己自身の品性をも損なう結果となる。
そのような相手側の事情までも思い遣った上で優しくすること、それが尊重。
相手の人間としての一層の健勝を願うが故の適切な優しさ。
優しさを超えた優しさ。
今の社会に求められているのもそういう優しさ(つまり尊重)。
512:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/22 23:59:05 0fNF8yoTO
尊重はただ、相手の側の尊さを殊更に押し立てることによってだけではなく、
己の側の至らなさを進んで認める謙譲も相まって初めて成立する。
己の空しさを認めた上で相手の豊かさをも賞揚する敢行は、並大抵の覚悟でできることではなく、
それ故日本のような、相手に対する尊重がなければ日々の生活もままならない島国でしか、このような習慣は育たなかった。
しかし今、国際化によって人々の世界観の矮小化が認められるこの社会において、
人々が真に必要とするのが、この日本人の培ってきた他者に対する感謝と尊重の気持ちとその具象化であり、
それ故いま日本が、アメリカや中国のような大国からの圧力に屈することなく、
国際社会の先導者として十分な役割を果たすことが求められる。
513:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/23 04:30:14 JhfhzAd80
工学部がまたケータイで長文連投w
どこまで病んでるんだ一体w
514:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/23 08:26:20 ydS9NmgN0
なぜ携帯からだとわかるんだ?
515:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/23 15:48:10 Jti+A2R9O
どこにも完全な人間などいない。長所もあれば短所もある。
お互いの短所を糾弾し、長所を否定するようではどこにも満足などあるはずはなく、
いくら物質的な豊かさを追求したとて満たされることはない。
しかし逆に、お互いの短所をかばい、長所を伸ばすように努めれば
わずかな物質上の用意でも十分に満足することができる。
前者のような他者に対する姿勢を侮蔑といい、後者のような他者に対する姿勢を尊重という。
侮蔑と尊重が相まうことにより愛が生まれるが、尊重に比して侮蔑はどこまでも肥大化していく性質を持ち、
それ故なんの倫理的統率も伴わない現代社会は、余す所なく侮蔑に満たされた。
それはつまり社会が侮蔑を補う尊重―そして、侮蔑と尊重の合弁体としての愛の出現を待ち構えているということだが、
侮蔑と同程度の尊重などは、すぐに肥大化する侮蔑のほうに飲み込まれて死んでしまうことが決まりきっている。
―キリストがユダヤ人にあっという間に殺されてしまうように―
516:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/23 15:54:46 Jti+A2R9O
しかし、キリスト(侮蔑に見合った尊重)がユダヤ人(侮蔑)によって殺されるということは、
人類の罪禍を人類によってあがなうという、単なるマッチポンプに過ぎないのであって、
人々はキリストがユダヤ人によって殺された後の―侮蔑が尊重によって相殺された後の
ゼロからの尊重―ブッダの旅路こそを真なる価値ある代物として見定める必要がある。
だからこそ今、愛よりも愛を超えた尊重の存在が求められるのである。
517:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/23 21:53:10 uvyONLub0
>>514
IDの末尾
0=PCからの書込
0=ケータイからの書込
518:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/24 00:18:32 w6X+GjxG0
携帯から長文書き込むだけでアウトなのか? さみしい社会だな。
それに書いてることはいたってまともなことだぞ?
まるで潰れかけた地元の商店街のおそばやさんの主人の独り言のような。
江戸そば喰いてー。
519:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/24 18:04:09 DIVzABwh0
侮蔑が尊重によって埋め合わせられること自体―
つまり愛そのものに満足するのは女の領分―それも、前時代的な女の領分である。
愛が家庭を作り子供を作る―そのことそのものを全評価の対象として見、
そこに満足の糧を求め続ける―まさに昔の女そのままの在り方だ。
そしていくら社会進出を果たし、他者を尊重する術を身に付けたからといって
やはり女の真の幸せはあくまでも愛の中に求められ続けられるのだとしても、それは仕方のないことだ。
女とはあくまでもそういうものである、愛に生き愛に死ぬ、それが女。
そういう点から見れば、男は女よりも多少は愛から自由な立場にあるといえる。
男には愛から離れてやることがいくらでも存在するし、またそれらをやる能力に恵まれている。
体力しかり、論理的思考能力しかり、そして相手を尊重する能力しかり。
このことは女の側から見れば、非常に疎ましいことのようである。
「こっちは愛のために全人生を捧げているのに、どうしてそっちはもっと真剣になってくれないの?」
「愛を超えた尊重なんて所詮男だけの慰みものよ。女にとっては愛こそすべて、それ以外に考えられない」
そのような女の側の主張は、ある程度は正しいが、それと同程度にも間違っている。
男もまた愛に手を出す以上は、女の側が満足する程度にまで愛のために生きるべきである。
そういう意味では、女が男に対して「愛への不誠実」を感じ取った場合、それを糾弾するのは正しい。
しかし男というのは、女の側が満足する程度に愛のために生きてなお余りあるほどに大きいのである。
それゆえ女が、男の側が“完全に”その全生涯を愛のため“だけ”に尽くさなかったからといって、
それを糾弾するのは間違っている。
それはちょうど、東洋において醸成された純粋尊重の文化(主にチャイニズムとヒンディズムに基づく)が、
西洋において醸成された愛の文化(主にヘレニズムとヘブライズムに基づく)よりも、
数百年先行して育まれたという歴史的な事実からも読み取られることである。
この世界に存在する純粋尊重は、この世界の全ての愛を満たして余りあるほどに大きい。
それ故人々がお互いの愛を十分に満たした上で、なおのことお互いを尊重し合うことは保障されているし、
また義務付けられてもいることである。
520:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/24 18:04:59 DIVzABwh0
愛があるから人間がある。しかし愛を超える尊重があるから人間が守られる。
愛と愛を超える尊重とがそれぞれ西洋と東洋で独立的に育まれたからといって、
単純に愛と愛を超える尊重とを対決させ、どちらが勝つかなどと鑑みるのは間違っている。
そりゃあ歴史的には愛よりも愛を超える尊重のほうが古くから育まれてきたのだから、
単純な大きさ比べで愛を超える尊重のほうが愛に勝つのは目に見えている。
しかし愛を超える尊重が愛よりも大きいのは、愛を超える尊重から愛が差し引かれた時に
残る純粋尊重が人間を守るためなのであって、愛を超える尊重が愛を打ち負かすためではない。
男が女を負かすためではなく、女のために、女よりもより大きくあるように、
愛を超える尊重もまた、愛のために、愛よりも大きくあるのである。
521:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/24 18:06:01 DIVzABwh0
もし、女があくまでも愛の中に引きこもり、愛を超えた尊重を身に付けないのならば、
せめてでも男が女よりも大きいこと―愛を超える尊重が愛よりも大きいことだけでも認めるべきである。
そしてその男(愛を超える尊重)の側の大きさが、単なる男の側の慰みものであるに留まらず、
人類を守る上で欠かせない大切な一つの機能であることを知るべきである。
そしてその、男の大きさを無闇に妬むことなく、かえって己の側の満足を保障する糧として信頼するべきだ。
大きいことはただ人類を守るためだけではなく、小さいほう(女)を十分に満足させるための機能でもある。
もちろん男の側もまた、己の天分としての大きさに自惚れることなく、女の側を十分に満足させると共に、
なお且つ他者への尊重を積み重ねられるだけのなお一層の精進が求められる。
女の側を十分に満足させるための精進とは、愛を十分に満たすための努力のことであり、
他者への尊重を積み重ねるための精進とは、愛を満たした上で猶のこと他者を尊重する努力のことである。
愛を満たすことと、愛を超えて尊重することのどちらが欠けても真の男とは呼べない。
前者は西洋から求められ、後者は東洋から求められる。決してどちらをも疎かにはすまい。
522:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/24 20:25:31 w6X+GjxG0
愛を超える尊重の存在を認めた女こそは、真に愛に満たされうる女であるともいえる。
愛のためだけに生きる己の優位性に固執するあまり、己と同程度かそれよりも小さい男だけを傍に置き、
そのせいで「愛が満たされない」などと文句を言うことの愚かさ。
愛を超える尊重(女よりも大きい男)は、この世の中に確実に存在する。
キリスト教やプラトニズムなどに比した場合の、仏教や儒教などがそれである。
純粋尊重を育む般若と中庸は、愛を育む超越神とイデアよりも先駆けてこの世に生まれた。
それはあたかも、超越神とイデアという仮初めの服従対象の下で愛を培ってきた人々を、
般若と中庸という真理を得た人々が、更なる尊重によって真の満足へと導くためであるかのごとく。
そう考えてみれば、この世の中に過不足などどこにもない。
純粋尊重を主体的に育んできた人々は、愛を主体的に育んできた人々を満足させるために、
愛を主体的に育んできた人々は、純粋尊重を主体的に育んできた人々に満足させられるために
この世の中に存在し、お互いが相まって初めて人類全体を真の満足に導く。
一緒にならなければならない。男と女。東洋と西洋。
お互いの本分がたとえ、純粋尊重の追求と、愛の追求とに分かれていたとしても。
いや逆に分かれているからこそ一緒になることに意義があり、また大満足がわれわれを待っている。
523:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/24 21:55:47 w6X+GjxG0
女に対し、「男に対して従順になれ」などという気はさらさらない。
むしろいつでも男の側を愛の淵へと引きずりこもうとするだけの負けん気があればよい。
問題は男の側に、さらにその負けん気を乗り越えて純粋尊重を育むだけの寛容さがあるかであり、
もし女の側に、あえてあらかじめ小さな男だけを選別しようなどという意思がなければ、
そのような(男が負けん気の強い女を寛容する)関係は、現社会において十分に成立するといえる。
もしあくまでも女の側が、愛に満たされることを引き換えにしてでも男を征服することのほうを求め、
それゆえ大きな男がいるにも関わらず、小さな男だけを己の伴侶に選ぼうなんてするのなら
それこそその女の女としての器が知れるってもん。「なんだ、結局その程度の女なんだ」っていう。
女が男を愛のために引き落とそうとするのが女の希求ならば、
にも拘らず女がより大きな男を選ぶのは人類の女に対する希求だ。
前者は男の女への寛容さによって叶えられ、後者は女の男への寛容さによって叶えられる。
女の寛容さが男の大きさを受け入れ、その男の大きさがその女への寛容さの源となり、
その男の寛容さがその女の負けん気を十分に受け流す懐の深さとなる。
男と女、そして人類、三者共々の理想が叶えられる青写真。
524:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/24 22:09:16 3nZYSQCk0
HAKUのCMで見て一目ボレしました
初恋の人に目がそっくりです
525:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/24 23:59:26 w6X+GjxG0
男が大きすぎると、女の側がその男に対する引け目を感じることもあるようだが、
むしろ男のその大きさに対して、「引き落としがいがある」とうそぶくだけの余裕が女にあっていい。
男と女ってのは、あくまでも全くその方向性が違う生き物。
男が頑張る。女はその頑張りを引き落として幸せになる。
もちろん男もある程度は女に幸せを分けてもらうし、女のほうも頑張るが、
あくまでも主体的に幸せになるのは女の側、主体的に頑張るのは男の側。
それでいいんです。それでどこにも不満足はありません。
男は頑張り、その頑張りを女に分け与えることに満足し、女はそれによる幸福に満足する。
不用意に男と女を均そうとしないこと。もし均すんだったら徹底的に。
均さない限りにおいて男女は満足だし、徹底的に均されてもこれまた満足だ。
均さない限りとは、男女が一緒になることであり、徹底的に均されるとは、
男女の関係の理論的追及を極めることをいい、それはここで行われて実際満足している。
どっちでもいい。どうとでもしろ。どうあがいたところで大満足だ。
526:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/25 14:02:24 rK5EjIba0
世の中には大きい男もいれば、小さい男もいる。
そしてむしろ小さい男のほうが、女に媚び、舌先だけで女を丸め込み、より多くの女を囲い込んでいる。
大きい男のほうはその大きさと、寡黙さと無骨さゆえに、結構な女を取り逃がしているのが現状である。
「大きい男が女ごときにこだわるな。男なら男らしくドーンと構えていろ」というのはあくまでも強がり。
やっぱり大きい男でも、心の底では女を欲しがっている。しかも本質的には、小さい男などよりもずっと
女のことを意識している。意識が強すぎるからこそおいそれと女に手を出せない。所謂「ウブ」ですな。
そんな男が、自らの大きさを全て一丸にぶつけてきたんじゃ、女のほうもたまらないに違いない。
だから大きい男には女に対する「手加減」が必要だということになる。
自らの育んできた純粋尊重を一気に全てではなく、適度に切り分けて女の側の愛に注ぐ。
これは確かに、大きな男がその大きさ故に、女と接する上で必要な作法であり、
(小さい男にはこんな作法など必要ない。好き勝手やってそれで女を取り込めるんだからうらやましい限り)
孔子などは大きい男であるにも関わらず、この作法に対する弁えがなかったから、妻を取り逃がす失敗を犯したといえる。
男が大きいことはいいことだ。でも大きい以上は女に対する接し方も工夫せねばならない。
ただ大きいだけでも女に接する上での障壁なのに、さらにその接し方にも工夫が必要。
大変ですな。まあ仕方がない。むしろその大変さをも楽しんで。
527:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/25 17:14:32 rK5EjIba0
全体的な観点から見れば、この世界に存在する純粋尊重が
この世界の全ての愛に比して“大きすぎる”ということもないようである。
純粋尊重を育む教理(仏教儒教など)が、愛を育む教理(キリスト教プラトニズムなど)よりも
先行してこの世界に生まれたとはいっても、それはたかだか数百年の話。
一万年を超える人類の歴史から見れば、これは十分に“僅差”だといえる。
ただ、実際上の個別の男ども(純粋尊重の象徴としての)を見れば、その大きさは非常にまちまち。
先にも挙げた仏陀や孔子などは、男としてあまりにも大きすぎたが故に、
自ら妻を離別して出家したり、妻に逃げられたりするはめになった。
しかし例えばソクラテスやイエスなどは、絶対的な観点から見れば決して小さい男では
なかっただろうが、ソフィストやユダヤ人といった論敵を説伏してなおのこと相手を尊重するには
男として小さすぎたために、恨みを買ったり殺されたりするはめになったといえる。
微妙なところにいるのがニーチェ。彼は西洋の人間であるにもかかわらず
西洋の道徳が侮蔑と尊重の合弁体としての愛に囚われている点を見抜き、
愛の監督者としての(超越)神の死を宣告することにより、西洋の人間が愛を超えた道徳を
育むための道を切り開いた。しかし、彼はあくまでも愛を超えるというその試み自体に
精力を傾けすぎ、愛を超えて他者を尊重するという男の本分を疎かにした。→ニヒリズムへの没頭そして発狂。
そういう意味では、彼は純粋尊重を育む上で十分な大きさを持たないにも関わらず、
西洋において特に肥大化していた愛を超えようとした非常に奇妙な事例であるといえる。
528:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/25 17:15:40 rK5EjIba0
結局は、普通の男と女であればよい。
仏陀や孔子ほどにも大きすぎず、ソクラテスやイエス(やニーチェ)ほどにも小さすぎない
普通の男が、美しすぎず醜すぎない普通の女と対峙したとき、それはちょうどよい大小のバランスになる。
女の側が十分に愛に満たされ、男の側は愛を満たした上でなおの事―ただし少しだけ―純粋尊重を育む。
それは、精神的身体的な“平均値”が男女に保障する健全な関係。
もちろん本当は、男は大きければ大きいほどいいし、女は美しければ美しいほどいい。
しかし男のほうが大きすぎると女のほうが引け目を感じるし、女のほうが美しすぎると男のほうが引け目を感じる。
つまり、本当に難しいのは、小さい男と醜い女が一緒になることでも、普通の男と普通の女が一緒になることでも、
小さい男と普通の女、小さい男と美しい女、醜い女と普通の男、醜い女と大きい男が一緒になることでもなく、
大きい男と美しい女が一緒になるということ。これこそが最も難しい。
故にこそもっとも大きな愛が、最も大きな尊重に満たされた上で、
なおのこと世界に多くの尊重を振りまくという奇跡にも等しい邂逅となる。
529:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/25 18:07:10 rK5EjIba0
大きい男と美しい女が一緒になるためには、
大きい男の側が女に対して手加減することが必要なように、
美しい女の側が男に対して手加減することも必要になる。
大きい男が女に対して必要な手加減が、小さい男や普通の男には必要のないものであるように、
美しい女が男に対して必要な手加減も、醜い女や普通の女には必要のないものだ。
つまり、美しい女は醜い女や普通の女が必要としないある種の特別な“作法”を必要とする。
それは、相手に対する単純な優しさや厳しさなどではなく―優しさや厳しさは醜い女や
普通の女にも必要だ―、己が美人であるにも関わらず、あたかもただの女であるかのごとく
振る舞う謙遜である。あなたが美人であることなんて誰もが知っている。そして美人であることに
自惚れるのも結構だし、それはある意味当然のことだ。しかし自惚れるほどの美人であればこそ
他者に対して「ぜんぜん美人じゃないですよー」と建前上の、あくまで建前上でいいから謙遜を
貫くことが必要。そしてあたかも美人でないかのごとく振る舞うだけの「余裕」が必要。
大きいにもかかわらず自分の大きさを押し殺す男が、
美しいにもかかわらず自分の美しさを押し殺す女と出合って初めてうまくいくということができる。
己の大きさをひけらかしてただの女しか取り込めない男、
己の美しさをひけらかしてただの男しか取り込めない女、
大きい男や美しい女でも(かえってそうだからこそ)そうなる危険性を十分にはらんでいる。
大きいからこそ美しいからこその謙遜。そこで初めて大きく美しい男女の関係が成立する。
530:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/26 09:38:10 4wJMP50g0
男が大きいことや女が美しいことは、相手の美しさや大きさを寛容するどころか突っぱねる原因にすらなる。
男が自由に大きくあるためには、むしろ相手の女は大したことがないほうがいいし、
女が自由に美しくあるためにも、むしろ相手の男は大したことがないほうがいい。
しかし男や女が自由に大きく美しくあることと、実際にそれらの男女が大きく美しいこととは必ずしも比例しない。
己の大きさを押し殺した男でも十分に大きいどころか、より大きく見えることもあるし、
己の美しさを押し殺した女でも十分に美しいどころか、より美しく見えることもある。
そういう押し殺された大きさや美しさであれば、相手の美しさや大きさを阻害する原因にはならず、
かえって相手の美しさや大きさを引き立てるいい薬となるだろう。あくまでも姿勢の問題。
「俺って大きいだろう」「私って美しいでしょう」そういう内面の自負が表に現れたとき、
相手に耐え難い苦痛を強いる。大したことない男や女であればまだしも、大きい男や美しい女であればこそ
到底受け入れるわけにはいけない劣等感を抱かせる。故に大きい男と美しい女が一緒になるためには
お互いの大きさと美しさが十分に押し殺されている(決して解消されているのではなく)ことが必要だということ。
大きい男や美しい女が、さらに美しい女や大きい男と一緒になるためにという極めて特殊な例ゆえの作法。
531:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/26 20:22:00 ZiSgYBpWO
侮蔑と尊重が相殺し合う限りにおける「愛の世界」、相殺され尽された所から始まる「純粋尊重の世界」、
そのどちらもが人類のあり方を示す独立した個々の世界であるといえる。
愛の世界には、人類の罪禍をあがなうという後退的な意味が伴う反面、
拡張(女性的侮蔑)と凝縮(男性的尊重)の両面において人類の成長が認められるという前進的な意味も伴う。
ひるがえって純粋尊重の世界はといえば、人類の罪禍があがない尽されたという理由により後退的な意味が伴わないが、
凝縮に比して拡張の側面における人類の成長が(名目上)見込めないという理由により、その前進的な意味は半減している。
侮蔑と尊重が相殺されてゼロになるまでの愛の世界よりも、
ゼロから尊重を重ねる純粋尊重の世界のほうが依然価値があるには変わりないが、
純粋尊重が愛を上回ったという、純粋尊重の世界特有の現象が、愛の世界に比して
ある種の物悲しさを呈するのも事実である。
532:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/26 21:27:15 ZiSgYBpWO
それ故こういうことがいえる。
愛の世界と純粋尊重の世界、その内のどちらか“だけ”を人類が選ぶべきだなどとは言わない。
愛の世界は愛の世界で、これからも独立的に十分な成長を続けるがよい。
その勢い、今までと同等どころか、それ以上であってもよい。
にも関わらず、純粋尊重の世界よこの世に生まれ、
人々を十分な満足(平和)に導くだけの尊重をこの世に振り撒け。
その勢い、今まで以上の拡大を見せる、愛の世界の成長をさらに超えるかのごとく。
注:
前段において提示した(純粋尊重の世界の住人としての)大きい男と(愛の世界の住人としての)美しい女が
出会うときに必要な謙遜の作法は、あくまでも違う世界の住人である両者が出会うときにのみ必要なものであって、
両者ともに己の世界における大きさや美しさの追求は、今まで(出会わなかった場合)以上にも求められるのである。
533:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/28 12:44:14 Tahgrpm40
マリ子ちゃんの知性的なところが好きです
534:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/30 00:04:35 rGa9bFs4O
マリ子ちゃんは美しい
それだけですばらしい
535:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/30 00:21:45 E4hnUeSW0
マリ子ちゃんの瞳が美しすぐる
536:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/30 14:43:10 uMwy5SVcO
マリ子ちゃんの鼻は神
537:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/31 21:49:46 D4cQz5UQ0
長文連投くんに聞きたいんだが、その文はコピペか?オリジナルか?
538:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/01 07:50:17 BDS3ruiv0
>>537
マリ子スレに古くから常駐してる通称「工学部」だよ。
時々暴走するんだけど、この度は暴走にも程がある。完全にスレを占拠してる。
レスしてもまともな対話不能な奴だから放置しといてね。
ちなみに奴は自作HPに難解哲学論文を発表してる。
URLリンク(lozenge.web.fc2.com)
マリ子を主人公にした小説もあったけど何故か削除してるな。
539:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/01 20:07:17 xQtGuLjHO
初めてCMで見た時は大人っぽいからもう30前後かと思った
540:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/02 05:12:39 SETkT1gcO
いい意味で三十前後に見える
541:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/03 17:52:13 TnRbfGpt0
村上春樹訳の「ティファニーで朝食を」が出てるね。
ハルキストのマリ子は垂涎で読むだろうな。。
542:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/03 18:47:39 Fnl0kFc/0
凶気の桜のときも17歳には見えなかったからな・・・24歳くらいに見えた
543:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/06 04:51:21 FD7Dfgua0
r
544:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/06 20:30:35 aqOrnVI+O
マリ子の身長はいくつ?
545:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/08 09:36:53 4ArNE2n60
171cm
546:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/09 21:50:04 4omqJJdQO
マリ子、オイラも子供をかわいいと思う年ごろになっちまっただよ。
国際線の機内で隣り合わせた時に、アームレストに載せた腕のさらに上に
頭のせて寝られた時には“キュン”ときたよ。
起きると腕が痺れて、上着もよだれ尽くしになってたけどそれでもかわいかったよ。
ほんの数年前まで、子どもなんて小さいばっかで
憎たらしいと思ってたのがずいぶんな変化だよ。
マリ子もせいぜい、お腹の卵を大切に。
547:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/12 03:02:19 zNZvS8jY0
あ~あ、「アテンションプリーズ」を降板してなかったら、
今回のスペシャルでもマリ子が見れたのにな。。
あの降板でブレイクし損ねた感があるような。。
548:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/12 23:57:46 Ca0Csqh50
写真集買おうと思うんだが
ここの住人のお勧めはある?
自分の好みは午後ティー、HAKU、ミナクア、リモーネの雰囲気
549:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/13 05:19:27 YUREKr/R0
やっぱファーストがおすすめだけど入手困難なんだよね。。
550:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/13 13:15:00 KNY/4st10
マリ子も「ファクトリー・ガール」は観るかな。
URLリンク(www.zakzak.co.jp)
551:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/14 00:50:38 /o/0ymhr0
必ずしも模範にはならないし、全てを解決する決定打になるわけでもないが、
これからの男女および東西社会の関係を考える上で重要な鍵になるのが中東だ。
この世界全体の思想宗教的な均衡を鑑みた場合に、この世界の中心となっているのが中東であるといえる。
イスラエルでキリストが生まれ、ネパールでブッダが生まれ、中東はその間。
宗教的にはイスラムという、アブラハム系の一神教に帰依するにも関わらず、
スーフィズムやスブハ(数珠)などの東洋からの影響を強く受けた習慣も持ち、
何よりも「男系社会」であるという、この極東社会の日本にも通じる性質を持つ。
神を信じる男系社会―この、ありそうで他に類を見ないイスラム特有の社会体制が、
これからの世界のあり方を考える上で重要な意味を持っている。
神への信仰も男系社会としての色濃さも、イスラムは他に類を見ないほどに厳格だ。
ユダヤ=キリスト教徒のように自分の側が神の視点に立つ反則を犯すこともない代わりに
未だに一婦多妻制を容認し、女性にヴェールの着用を義務付けるほどに男女間の差別を明確に置く。
ここに、男尊女卑と神格信仰という、東西社会がそれぞれに培ってきた精神的傾向が集約されているといえる。
男が神を信じるということは、女性がヴェールを着て第何夫人に成り下がるということと同様の意味を持ちうる。
もし女からみてウ゛ェールや一婦多妻などのイスラムの慣習が侮辱に過ぎると感じるなら、
同様に男が神を信じることもまた男にとって侮辱極まりないものであるということ。
にも関わらず言えるのが、イスラムの男女は極めてうまくいっているということ。
(みんな腕組んで歩いてる)
男が神を信じ、女がヴェールを纏い第何夫人に身をやつすことでこそ男と女はうまくいくのだとイスラム社会は主張する。
男はみんな男らしく(誰も日本男みたいにピアスなんかしてないよ? 代わりに女子は赤ん坊のころからピアスするが)
女はみんな女らしく(別に極めて美しいというわけじゃない。ただ美しいだけならインド系やヨーロッパ系のほうが美しい。
でもなんというか、中東の女性は本当に女らしい。貞淑でいじらしさに満ちている)
ありながら、それでいて徹底的な(男の足枷としての)神格信仰と(女の足枷としての)男尊女卑を
介することにより、男女間の不和と不均衡を徹底的に排除する。
そこには―全くのかりそめであるにしろ―これからの東西社会や男女のあり方を示す、
半ば反面教師とも呼べる雛形があるといえる。もちろん非イスラムの男性がイスラム並に神を信じたり、
非イスラムの女性がヴェールや一婦多妻に身をやつしたりする必要はないけれど、
もし東西社会の男女が自分たちの精神的傾向を真に踏まえた上での付き合いを目指すというのなら、
男は―それが極めて侮辱的であるにも関わらず―神を信じ、
女はヴェールと一婦多妻に身をやつすほどの覚悟が必要であるということ。
552:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/14 01:48:03 /o/0ymhr0
もちろん、これはあくまでも最悪の事態であるといえる(イスラムの人々には申し訳ないが)。
男が神を信じ、女が一夫多妻に身をやつす―特に儒教徒の男や
キリスト教徒の女などにとってはどちらも反吐の出るようなことに違いない。
でも、そうすることで少なくともその内情においてはうまくいってる人々がこの世界の2割近くを占めるということ。
神格信仰という首輪をはめられた男、男尊女卑という首輪をはめられた女、
それらはかつてコーランを矢の的代わりにした男や、ヴェールを一生着ないことを誓った女や、
はたまた一妻多夫制までも容認していた太古の前例をもとに戒められた姿。
人間の業(カルマ)を徹底的に背負い受け入れたことの先にあるもの、それがイスラム。
人間が愛に満たされたちょうどその瞬間にあるもの、それがイスラム。
西洋の侮蔑と東洋の尊重、それらがあい合わさってゼロになった瞬間―
愛が満たされて、それ以上でもそれ以下でもなくなっている状態それがイスラム。
イスラムこそは、全ての終わりであるとともに始まりである。
東洋的価値観と西洋的価値観を良くも悪くも混交させて醸成させた結果があれ。
確かに(イスラム)以東の文明ほどに純粋尊重の育成に秀でているわけではないし、
以西の文明ほどに愛の育成に秀でているわけでもない。しかし東洋の文明と
西洋の文明が仲介もなく直接衝突を果たせばどうなるかという試みの結果が
あれであり、われわれはよくもわるくも「あそこから、どうやって始めていくのか」
ということを真剣に考えていく必要があるのである。
553:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/16 00:46:37 04sTIi7a0
あくまでも、イスラムは「逆説」である点に留意されたい。
男が神を信じることを強要されるのは、女がヴェールと一夫多妻を
強要されるのと同じぐらいに屈辱的なことであるということ。
それをわかってもらいたかったが故に引き合いに出したのがイスラムだったってこと。
派手な服着てもいいし、浮気もしないから、
こっちにも「神を信じろ」なんていう強要はしないでくれっての。
むしろ「神なんか信じないでくれ」とそっちから要望してもらいたいぐらい。
神を信じないからこそ、マリ子一人を愛す。
神を信じることこそは浮気の第一歩。それがイスラムの(逆説的な)教え。
神も信じず、浮気も容認しないところから初めて二人の健全な関係が始まる。
554:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/16 07:58:38 najvsvrO0
また工学部の病気が始まった。。
555:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/16 08:51:34 2qKPT3DhO
URLリンク(www.youtube.com)
556:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/16 21:58:00 04sTIi7a0
>>554
いろいろ勉強した挙句、儒教、仏教、ヒンズー教、イスラム教までは寛容できたのです。(神道は言わずもがな)
これで世界全体の60%超。それでもあなたは私を病人扱いするのですか?
世界の六割以上の人々が認める価値観でも、病気ですか?
むしろ病気に値する人々があるとすれば、あなた方のほうではないですか?
アブラハム系の宗教を、しかも女系において信仰するという、極めて限定された範囲内における信仰、
それが全世界に対して暴威を振るったにもかかわらず、全世界を征服するには至らなかったという
その事実にいい加減気付きませんか? あなた方が精神的なマイノリティであることに気付きませんか?
マイノリティであらずんば、少なくとも二つあるうちの一つであることに気付いていただけませんか?
神を信じるぐらいなら、むしろ己を信じたほうがマシだった人間が
全世界の半数以上を占めていることにいい加減気付きませんか?
神を信じない男の下でのみ、マリ子が幸せになれることにもうそろそろアハ体験しませんか?
神を信じない―自力本願の男―利家がまつを生涯伴侶とするようにでしか
男女の最高の関係は築き上げられないことをもうそろそろ知ってしまわなければならないのではないでしょうか?
557:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/16 22:06:37 zZldzZex0
工学部・菱隼人のHP
URLリンク(lozenge.web.fc2.com)
558:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/16 22:25:10 04sTIi7a0
>>557
工学部も菱隼人もあくまで仮名なのだよ。
人間の本質はここに書き捨てられてきたような“小説”ではなく、
己の全てを一大事にぶつけてきた“大説”によってのみ明らかになるのだよ。
政府も大学も国連もまったく不十分な機関だよ。
それらの実利的組織を超越した“学林”によってのみ人々は理想に導かれるよ。
そんな簡単なことにも気付かずに数百年間右往左往し続けてきた
西欧の権威権力機構はまったく無能な存在だよ。
その西欧に性懲りもなく付き合ってきた近代の日本も一笑に付すべきだよ。
まさに日本は関西のお笑いコンビの一環にすぎないよ。
559:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/18 00:16:12 jfqHPu+X0
「位攻め」は自分の趣向ではないので、イスラムはひとまず「伸び代」として一旦捨て置く。
それでこちらの手取りが全人類の約40%。だいたいそっちと同じぐらいの人数。
ただしそちらが征服的な態度を取るようであれば、いつでもイスラムをこちら側に取り込む所存。
お互い人類の四割前後を支える価値観同士、人類にとってかけがえのない価値観である同士、
無駄な争いは避けてお互いの違いを認め合い、この狭い地球においては
共存を図っていくことこそが、理想とはいかないまでも、望ましいことと思うが如何か?
そちらに譲れない一線があるように、こちらにも決して譲ることのできない一線がある。
そういった点は最初は黙認でもし合って、少しずつ折り合いをつけていくのが肝要かと思われる。
一元論から二元論へ、こちらにはそちらを容認する覚悟があるから、問題はそちら側の覚悟。
自らよりも古い歴史、自らよりも深遠な智慧、そして自らよりも敬虔な信仰の実在を認めた上で
それらへの畏怖を絶やすことなく、謙虚な姿勢で以って世界に向き合いなおす態度が必要。
世界中に迷惑を撒き散らしてきた己の罪業を真剣に反省して、いま一度やり直す覚悟が必要。
認められないのは今までのこと。そして大体においてこれからも認められないに違いない。
だいたいが「死者の復活」という宇宙の真理に反した見識から始まっている価値観。
事実を認めないことなど今に始まったことではないのだから。
だから、期待はしない。ただ提言するだけ。
“誤謬の殻”に引きこもって出てこようとしないあなた方に対し
出てくきたときの待遇の保障と、祝福と、また出てくるまでに必要な勇気を奮い立たせるぐらいしか
こちらにできることはない。ただただ「がんばれ」と。「みんな君たちの改悛を心から願ってるんだよ」と。
立てこもり強盗に投降を促す警察官のような心持ち。
560:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/18 01:33:22 jfqHPu+X0
今ではむしろ、東洋の側に偏重して味方するよりも
東洋と西洋の思想宗教的な対立をより客観的な立場から眺めている自分がいることに気づく。
そういう意味では、東洋と西洋どちら側にも属するともいえ、またどちら側にも属さないと言える
中立、折衷、第三者的な思想体系としてのイスラムが、自分の中で神道に比肩するほどの
特別な存在としていま内心をもたげてきているところがある。
儒教、仏教などを支柱とする東洋的な価値観が全人類の四割を占め、
キリスト教、プラトニズムなどを支柱とする西洋的な価値観がまた四割を占め、
残りの二割がイスラムと神道という、中間的な立場に属する。
極めて均衡のとれた現代社会の価値配分であるといえる。
ただ、今の社会情勢を見ていると、西洋(特にアメリカ)がイスラムを
より敵視している様子が見受けられるため、イスラムと東洋が結託する口実が
いくらでも見い出せると言う意味合いでは、西洋よりも東洋のほうに勢力均衡が傾く可能性が高いといえる。
今の日本政府にそこまでの慧眼を備えた人物がいるかどうかは判断しかねるが、
少なくともこの日本がこれからも人類社会における繁栄を目指そうというのであれば
明治維新以来続いてきた西洋偏向の社会体制を転換する必要があるといえる。
(かといって同じ東洋でも中国にすり寄りすぎるのはいけない。隣国に与した国が
衰亡の危機に見舞われるのは国際社会における暗黙の了解。歩み寄るならまずインド。
中国はその後。また歩み寄る上でも警戒を怠ることなく。事前の国防体制の充実は必須)
そしてもし、日本が東洋の価値観にも西洋の価値観にも依存しない独自の
価値観のもとに歩みだそうと考えるのであれば、好例としても悪例としてももっとも参考になるのが
インドでも中国でも、ヨーロッパでもアメリカでもなく、アラブ社会であるといえる。
全く日本人がこれまで察知せず、また価値体系としても実際日本人と正反対といえる
アラブこそは、これからの日本人の―石油などの利権絡みに依存しない―
真の交際相手として相応しいのかもしれない。
561:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/18 01:59:44 jfqHPu+X0
別に、日本人にムスリムになれなんていうことを強要する気はない。
かくいう自分だって神道からイスラム教に完全に鞍替えするほどの思いはないんだ。
ただ、政教一致や学林の設置、それに聖職者の否定など、
日本人が今まで思いもよらなかったような体制のもとに他民族統治を図るアラブ社会には、
今さら欧米や印中に傾倒するよりもより多くのことを学び取れる素養が確かにあるといえる。
そして先にも挙げた圧倒的な神格信仰と男尊女卑の両立、
その信仰たるやユダヤ教徒やイスラム教徒の比ではなく、
女性差別の徹底も仏教や儒教の比ではない(例:法華経における女人成仏の段)。
これは確かに現代の日本人が受け入れるにはあまりにも突飛にすぎるのだけれど、
そのような厳格な人間のあり方が今もなお、しかも10億人を超える人々によって
支持され続けているという事実に目を見張る必要がある。
(アメリカ人の唱えるような)自由と独立ばかりが人間の理想ではなく、
また(中国人の擁するような)神も法も恐れぬ厚黒ぶりばかりが人間の本性でもない、
自ら神格信仰や男尊女卑と言った、己ら自身をがんじがらめにするあり方をあえて選択し
東西のどちらの価値観にも半ば与し、しかし完全には与せず、あくまで独自の
価値観を擁立し続けようとするアラブ社会の存在は、東西の価値観を無制限に
取り入れ続けてきたこの日本という国がこれからいかなる針路を辿るべきなのかを
見定める上で重要な参考となるに違いないのである。
562:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/18 03:21:18 jfqHPu+X0
さて、ここまで論議が煮詰まると一つの結論が導き出される。
日本に今でも散々とちょっかいを出してくるどころか、自国の軍隊まで日本に駐留させて
未だに制空権すら認めない、(残念ながら)マリ子も生まれた、日本の右隣にあるあの国の処遇について。
付き合いを断てるほど、今の日米の関係は疎遠ではない。
実際自分が着ている服もアメリカブランド(ただし中国製)だったりする。
敗戦=占領という先だった事情があるとはいえ、中国と同様、アメリカもまた「隣国は敵」という
国際関係論の法則に当てはまることにいい加減気づかねばならない。
太平洋という大海を介しているとはいえ、あの国もまた日本の隣国であるには違いなく、
中国に対すると同様に、アメリカに対してもまた精神実務両面における警戒が必要なのである。
特に今のアメリカは「アラブ侵攻」という、西洋社会全体の凋落の呼び水ともなる愚行に手を出した、
まさに墓穴を掘った状態にあるため、同じ凶相に取り憑かれるのを避けるためにも、より一層の警戒が求められるのである。
563:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/18 03:22:55 jfqHPu+X0
以上の結論から、自分がマリ子に対して言えることはこうだ。
自分はマリ子を愛する。しかしそれはできうればあくまでも日本人としてのマリ子であることを望む。
これは決してアメリカに対する先入観による毛嫌いでもなければ、
拝金主義や資本主義に対するイデオロギー的な反感によってでもなく、
あくまでも国際社会の見通しや損得勘定を踏まえた上での冷静な判断であるということ。
自分が日本人である以上は、アメリカよりも日本のことを第一に考えるのは当然のことだし、
日本を第一に考える以上は、優遇すべくは中国やアメリカよりもインドやヨーロッパ、
またインドやヨーロッパよりもアラブであるというのがしごく冷静な見通し。
この見通しに対してマリ子が賛同し、協力してくれるのであれば非常に“助かる”。
もちろん自分の生まれ故郷でもあり、祖父母も暮らすアメリカを見捨てるのは断腸の思いに違いない。
しかし、そうしたほうがマリ子自身の利益にもなるのだということ。
むしろ功利性を最優先するアメリカ的な合理主義こそが、いまそのアメリカが
落ち目であり、なるべくなら“買わない”ほうがいいのだと勧めていることに気づいてほしい。
大部分のアメリカ人は、自国に対する主体感情から否応にもアメリカに居残る他に術はないが
幸いにもマリ子は半分日本人、十分己の半身の病理を切り捨てても生き残れるだけの素養を持っている。
あくまでも何が損で、何が得かということを冷静に見極める
ドライな“アメリカン・スピリット”によって、アメリカを捨てなさいということ。
大抵のアメリカ人にはもうそれができない、しかしあなたにはできる、
故にこそあなたこそは数少ない真のアメリカン・スピリットの継承者となるのだ。
564:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/18 04:01:59 wG4Yi7r3O
※注:
現在のアメリカによるアラブ侵攻を、中世における十字軍遠征と重ね合わせる試みが
(しかも当のアメリカ大統領の口からも)行なわれているが、これは明確な誤りである。
何よりもパワーバランスが違う。前者は弱者(ヨーロッパ)の強者(アラブ)に対する
ささやかな抵抗だったが、後者は強者の弱者に対するいじめである。
しかもアメリカ自身を含めた新世界の発見によって、西洋社会のテリトリーが急激に拡大したことにより
現代のアラブ社会は西洋と東洋という、拮抗する両極社会の中間という繊細な立場に身を置いている。
その現代のアラブに対して侵攻を行うことは、東西社会の均衡を破るという理由によって
ユーラシア大陸のいち部落にすぎなかった中世ヨーロッパがアラブに喧嘩を売ったことよりも
遥かに(負の側面において)重大で深刻な意味を持つのである。
565:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/18 04:09:21 wG4Yi7r3O
>>564の訂正:
「前者」と「後者」を入れ換えてね♪
566:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/18 10:26:54 7llCdl4P0
誰も読んでないゲロ文を校正する不毛な律儀さwwwwwwウケルwwwwww
567:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/18 15:29:42 rQd25zRN0
ホント
自分の世界だけに浸ってる哀れな奴だ
オナニー文なんか100円貰っても読まないぜw
568:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/18 17:58:06 2COFDCfQ0
>>566-567
ゲロ文やオナニー文だとわかること自体、読んでる証しさ♪
自分が「アメリカを捨てて、中国に付こう」などとは決して言ってない点に注意されたい。
むしろ短期的な利益を考えれば、いま一番買いどきなのは中国に違いない。
けれどもあくまで中国でもアメリカでもなく、インドやヨーロッパ、
さらにはアラブなどというより遠地との提携をいまの日本に促すのは、
日本を含めた特定の国家社会に利権が偏重するのを忌避してのことに他ならない。
本当は自分とマリ子と、なんらの利権の蠢きにも惑わされない
純粋な愛のもとに暮らせることが最も望ましい。でも現実問題として
人間のあるところには利権があり、利権があるところには争いがある。
このような問題を緩和するためには、ひたすら利権を無視することではなく
利権の存在を認めた上で、それを十分に世界全体に向けて“攪拌”する必要がある。
その上では日本は現代における利権の集積地帯であるアメリカや中国からの
直接的な影響を避けて、世界全体を視野に置いた俯瞰的な観点を持ち、
インドやヨーロッパやアラブ、さらには南半球社会までも考慮した
「世界を均す天秤」の役割を果たすことが求められるのだ。
いわば利権に惑わされない純粋な愛を手に入れる上での
第一歩とも呼べるのが、日本の(潜在的敵国であるところの)隣国からの離脱および
アラブを象徴とする遠隔社会との親密な交流なのであるといえる。
マリ子を純粋に愛したいからこそ、アメリカを捨ててアラブを拾うのである。
アラブは自分にとってもマリ子にとっても全く疎遠な対象。
故にこそスサノオとアマテラスの仲を見守るツクヨミとしても絶好の地位にあるといえる。
東洋社会を司る書物としてヴェーダや仏典、四書五経や道教の経典などがあり、
西洋社会を司る書物として聖書やプラトン、アリストテレスの著作などがあり、
そのどちらにも属さない中間的な書物としてコーランと古事記がある。
ゆえにコーランと古事記は、極めて相性がいいのである。
もちろんそれら以外の東西の膨大な書物群の恩寵も忘れずに。
文治は平和を生み、平和は純粋な愛を育む土壌を作る。
そして愛はまた新たな書物の形成を助ける糧となる。
ゆえにどこまでも人類の行く道は開けているのである。
569:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/19 18:13:05 AxJiMVpa0
お金のことは、よくわかっているんだよ。
日本では三万円ぐらいしそうなコーランがアラブでは六千円ぐらいで買えるよ。
ちなみにアラブの確認済み石油埋蔵量は全世界の半分以上だよ。
そして日本のアラブからの石油輸入率は九割近いよ。
つまり日本とアラブが直接提携すれば今の2.25倍~4.5倍近くおトクだということ。
仮にそれがアラブ側の物価の高騰によろうが、日本側の物価の暴落によろうがそれは関係ない。
アラブには資源があり、日本にはそれを加工する技術がある。
資源と技術すらあれば、金や人出は最小限でよい。金融や人材は
いわば資源と技術の間に介在する不純物とまでは言わずとも、ロスなのであり
もし資源の所有者と技術の所有者が一緒になれば、人口と資本という
今の世界に問題をまき散らす根源中の根源を根絶やしにすることができる。
資本で世界を牛耳ろうとするアメリカ、人口で世界を牛耳ろうとする中国、
そのどちらもが技術立国である日本にとっての両目の上のたんこぶであるに他ならず
これらを思い切って除去して、技術の「真の恋人」たる資源の所有者への
歩み寄りを行うことにより、日本やアラブだけでなく、世界全体の病理を
断ち切ることが可能となるのである。
570:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/19 19:41:41 inQwfigN0
工学部・菱隼人のHP
URLリンク(lozenge.web.fc2.com)
アニヲタかw
571:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/20 21:39:55 wQwPefK50
r
572:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/21 19:01:24 dcTFIfIr0
この前、ある外資系のホテルの食堂で、北部のインド人かインド系と
思われる父母+三姉妹という構成の家族連れを見たんだが、
その三姉妹全員がものすごくマリ子に似てた。
それぞれ年が違う(12歳、15歳、18歳といったところ)ので、
まるでマリ子の成長過程を見てるようだった。
もちろんマリ子は日本人とギリシャ系アメリカ人の混血であるけれども、
この遺伝子の組み合わせは必然的にあっちら辺(北部インド)の
遺伝的形質に近似するのかもしれない。
かといってマリ子は(ギリシャとインドの間の)中東の女性には似ていない。
ギリシャ系の形質が、日系の形質による東方への勧誘を受けることにより
中東をひとっ飛びして(かといって中国まではいかず)北部インドの
形質に落ち着いたとすれば、これは興味深い事実であるといえる。
南欧の血筋であるにも関わらず、見た目はむしろ北部インド人。
まさにマリ子は、中東を包み込むために生まれてきた女性であるといえる。
(ちょっと強引か?w)
573:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/22 12:45:47 Bmeekuqm0
お前がいることでこのスレの不活性化に繋がっていることに気付いて消えろや
574:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/22 13:12:14 hfZ7k7LC0
>>570
菱隼人って書いてたっけ?
575:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/22 13:26:47 mWkU6Dib0
太平洋を越えて、左回りにこっちに来ようとするからいろいろと無理が起きる。
そうではなく、右回りに、大西洋とユーラシア大陸を介してこっちに来れば
今まで見落とし続けていたあまりにも多くの道理の存在に気付くはず。
そりゃあ右回りのほうが遠いし、時差ぼけがより辛いのも確かなのだけども
この世界の歴史の大部分がアメリカ、シベリア、オセアニア、中南部アフリカなどを除く
伝統的文治社会によって紡がれてきた(しかもその4分の3以上がさらにヨーロッパを除いた
非キリスト教圏による)ことを考えてみれば、右回りによる日本到達に伴う無理などは
左回りの日本到達に伴う無理などよりもはるかに軽いものであることがわかる。
まあ、どうしても右回りで日本までくるのが億劫なら、
インドかアラブあたりで待ってくれていてもいい。かといって
ヨーロッパでは努力しなさすぎだし、中国は赤化で自国の文化を
徹底的に破壊したいけない子なので放置。もちろん文化そのものはいいのだけど。
576:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/22 17:35:22 Bmeekuqm0
>>575
URLリンク(takeko.mine.nu)
577:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/22 17:35:56 Bmeekuqm0
>>575
URLリンク(takeko.mine.nu)
578:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/23 19:24:44 t0VZBqAT0
左側に「どこまでも完全に厳密に正当な人間」がいて、
右側に「どこまでも完全に厳密に不当な人間」がいる。
どっちもどっちのように思えるが、ひとつ決定的な差異がある。
それは、「どこまでも完全に厳密に不当な人間には、どこまでも完全に厳密に正当な人間は、
どこまでも完全に厳密に不当に見えるのに対し、どこまでも完全に厳密に正当な人間には、
どこまでも完全に厳密に不当な人間はあくまで、どこまでも完全に厳密に正当ではなく、
どこまでも完全に厳密に不当に見える」ということだ。
そして、「どこまでも完全に厳密に不当な人間には、どこまでも完全に厳密に正当な人間が、
どこまでも完全に厳密に不当に見えるからこそ、どこまでも完全に厳密に不要に思えるのに対し、
どこまでも完全に厳密に正当な人間には、どこまでも完全に厳密に不当な人間が、実際
どこまでも完全に厳密に不当に見えるにも関わらず、どこまでも完全に厳密に不要だとは思えない」ということだ。
つまり、「どこまでも完全に厳密に不当な人間は、どこまでも完全に厳密に不当であればこそ、
どこまでも完全に厳密に不当であることは、どこまでも完全に厳密に不要であると考えるのに対し、
どこまでも完全に厳密に正当な人間は、どこまでも完全に厳密に正当であればこそ、
どこまでも完全に厳密に不当であることもまた、どこまでも完全に厳密に不要だとは考えない」ということだ。
よって、「どこまでも完全に厳密に正当な人間が、どこまでも完全に厳密に不当であることを
どこまでも完全に厳密に不要だとは考えていないことを、『どこまでも完全に厳密に不当な人間が
どこまでも完全に厳密に不当であることを放棄した、どこまでも完全に厳密に正当な事例である』として、
どこまでも完全に厳密に不当な人間にとっては、どこまでも完全に厳密に不当だった、すでに
どこまでも完全に厳密に不当ではない人間を、どこまでも完全に厳密に不当な人間が、
どこまでも完全に厳密に不当に受け入れるきっかけにすればよい」ということだ。
ここに、「どこまでも完全に厳密に正当な人間と、どこまでも完全に厳密に不当な人間が、
どこまでも完全に厳密に正当な人間にとっては、どこまでも完全に厳密に正当であり、
どこまでも完全に厳密に不当な人間にとってもまた、彼ら自身にとってはどこまでも完全に厳密に正当であるところの、
どこまでも完全に厳密に不当な理由によって和解を果たす準備ができた」ということだ。
不一
579:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/23 21:15:28 iHKek9qR0
工学部・菱隼人のHP
URLリンク(lozenge.web.fc2.com)
アニヲタかw
580:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/24 17:12:58 TmdC79/O0
“どこまでも完全に厳密に”とまではいかなくとも、
ただ単に“不当ではない”といった程度の理由で、正当な人間もいる。
イスラムがそうだ。
また、“どこまでも完全に厳密に”とまではいかなくとも、
ただ単に“不当である”といった程度の理由で、正当でない人間もいる。
ユダヤがそうだ。
どこまでも完全に厳密に正当であったり不当であったりすることに比べれば、
ただ単に正当であったり不当であったりすることはその見分けがつきにくい。
実際、イスラムは不当ではないにも関わらず、結構バカなところがあるし、
ユダヤは正当ではないにも関わらず、結構かしこいところがあって、
これらの事実はただ単に正当であることと不当であることの
優劣をうやむやにしてしまいかねない所がある。
にも関わらず、正当であることはあくまでも正当であり、不当であることはあくまでも不当である。
どこまでも完全に厳密に正当であることや不当であることは、
どこまでも完全に厳密に和解の余地のあることを>>578で示した。
それではそういった“どこまでも完全に厳密に”とまではいかない、
(バカであったりするにも関わらず)ただ単に正当であることと
(かしこかったりするにも関わらず)ただ単に不当であることは
いかに折り合いを付けるべきなのか。その答えは人類に聞いてみればいい。
イスラム:13億人
ユダヤ:1300万人
だいたいイスラム100:ユダヤ1程度の割合。
要するに、人類は単なる段階においても不当より正当を選んでいるということ。
いかに正当がバカであろうとも、またいかに不当がかしこかろうとも、
人類は、不当であることよりも正当であることのほうがいいそうな。
581:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/24 17:40:36 TmdC79/O0
おっと、「選民思想」なんて反論はなしだぜ。
ユダヤの思想は(ただ単にとはいえ)あくまでも不当なんだからな。
誕生日おめでとう。
582:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/24 19:25:06 rbIswKl6O
仮に選民思想をあてがったとしても、
「選民がそれ以外に比して少数にならなければならない」
などという主張がどこにもない点からして、
反論としてはやっぱり成り立たない件。
(やっぱりユダヤの思想はあくまでも不当なのだなぁ)
583:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/25 10:08:21 s6oc2lKX0
お前いい加減にしろよ!荒らしとして通報するぞ
584:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/25 17:07:40 li3G8YqA0
不当圧力には屈しないし、これからも「どこまでも完全に厳密」「正当」「不当」
の三つの言葉の応用で、最低でも大般若経六百巻分ぐらいの文章を書く用意があるが、
かといって、どこまでも完全に厳密な段階と、そうでないただ単なる段階の
両方における正当性と不当性の関係性を概括的に説明し終わったいま、
これ以上説明を重ねることは、死人に鞭打つような、(不当な教義の根本であるところの)
聖書にも通ずる姿勢を呈することになるため、ここで一旦筆をおく。
あとは、これでも見て頭を冷やしとけ。
URLリンク(bbs0.meiwasuisan.com)
585:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/25 18:28:41 s6oc2lKX0
不当なのはお前じゃねーかw
やっぱりただの基地外だったか
586:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/25 19:04:00 li3G8YqA0
たしかに、自分でも一つ不当な発言があったことに気づいた。
「死人に鞭打つ」ことが聖書的なのではなく、かといって
「死人を丁重に扱う」ことが聖書的なのでもなく、
「死人に復活権を与える」ことこそが聖書的であること。
死人を鞭打とうが、丁重に扱おうが、あくまでも死人は死人である。
死人を死人とする点においてこれらの扱いは共通に正当であるが、
死人に復活権を与えることは、死人を死人としない側面があるために不当である。
ゆえに、死人に鞭打つ中国と死人を丁重に扱う日本とが
(その扱いが正反対であるにもかかわらず)どちらも正当であるのに対し、
そのどちらにも従属しない聖書の記述こそは不当である。
して、一旦筆をおく。
(とはいえ、このように己の発言の不当性を指摘されたときには
それを正当に引き戻すための訂正を行ってはばからない。ただ、
それにしたって「過剰な言及」の存在そのものが不当性に結びつく
ところから、あくまでも基本的な姿勢としては言及を遠慮し、
仕方なく言葉を重ねているという意味合いにおいて、一旦筆をおく)
587:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/25 21:58:38 k1n2X4qQ0
流れぶった切るけど、re-quest QJっていう美容師向け求人誌に出てた。
表紙。しかも200円。ただ一部の店にしか置いてないみたい。
ジュンク堂とかならあるようで。欲しい人は適当に調べて。
588:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/26 00:22:24 8HjWBN5XO
新約聖書が「死人に復活権を与える」のに対し、
コーランは「死人の復活後の処遇」が要である点。
(しかもその処遇が処女とのセックスだったり、
悪酔いしない飲酒だったりと妙に俗っぽい件)
>>587
都会の求人誌は、有料で専門職向けな上に表紙がマリ子なのですね。
ちなみに田舎の求人誌は、無料で一般職向けな上に裏表紙がAV女優だったりします。
まるで都会の求人誌はコーランのようで、田舎の求人誌は新約聖書のようです。
(ちなみに旧約聖書は田舎のハローワークあたり。
田舎の求人誌やハローワークであるそのこころは、
“ないものを無理矢理ひねりだす”)
589:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/26 03:51:35 sUs0vTlk0
>>587
サンクス。これだね。
URLリンク(www.seyfert.co.jp)
モデルスレで出てた野田の写真てこれに使われてたのか。
590:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/27 02:50:00 PkbdeFKc0
外人が日本人を特別視してるってのは、自分の歴史少しでも知ってたら誰でも
分かるだろ。まず、資源が全くないってことはすごいこと。もう両手両足
もがれたぐらいのハンデ。しかもすごいのは、米国の3分の1の人口、わずか
25分の1の領土で、その上そのただでさえ極小の国土の7割が山、山、山。
なーんにもない、山・・・。だから農業で輸出して食べていくことすらできない。
条件からして最貧国でもおかしくない国。そんな国が、100年ほど前で
当時世界最強クラスだった露助とか清をあっさり倒して、非白人国家で
普通に白人常任倶楽部仲間入りしちゃってて、おまけに米国敵に回して
ガチで戦争して、世界で唯一米国本土爆撃して、英国の無敵艦隊フルボッコにして
オランダ倒して、世界で唯一原爆落とさせるほどてこずらせて。
しかも二発だよ。二発。考えられない。敗戦とか言ってるけど日本のせいで
アジアから白人の植民地全部消されたし。しかも信じられないのは
戦争に負けてただでさえ何にもない国がさらにインフラまで全部叩き潰されて
多額の賠償金まで背負わせて100%再起不能にしといた極貧衰弱国家で
今度こそ生意気なイエローモンキーが消えて数百年はウザイ顔見ないで
済むと思ってたら、直ちに再び白人社会に経済で参戦して来くさって
参戦どころかごぼう抜きでたった2,30年であっという間に米国さえ抜いて
世界第一位。東京の土地だけで米国全土が買えるほどの呆れた価値に
なっちゃう程の超絶経済力で世界中( ゚Д゚)ポカーン・・・状態。
その後もずーっと二位維持。頭一本でそれ。しかも経済の80%が内需。
内需だけでそれ。金融とかでまだ全然進出してないし、車や家電
工業製品ももまだまだ進出しきってなくてそれ。もうキチガイの域。
伸びしろありすぎワロタ。戦後60年一発も打たずに侵略せずにこれ。
何気に世界最長寿国とかなってる。んで今度は漫画・アニメ・ゲーム。
気がつけばハリウッドの規模とっくに超えてる。アメリカの検索で
一位になってるのが日本のアニメとか。世界中で一番人気の映像作品が
日本のアニメとか。極めつけは世界一長い国号、2000年のどの白人より
長い王室ならぬ、その上の皇室保有。エンペラーに代表される歴史。
普通の神経してたらこんな国怖くて関わりたくない。
こんな日本国民なめんなよ、ちょろちょろ西洋文明喧伝してんじゃねえぞ。
URLリンク(jp.youtube.com)
.
591:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/27 07:43:14 xngk6u5K0
お前もう書かないって言ったの嘘かよ
今見てガッカリだよ・・・基地外独善の上に嘘つきかよ・・・
592:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/27 07:54:40 6h+pT/Ju0
工学部・菱隼人のHP
URLリンク(lozenge.web.fc2.com)
アニヲタかw
593:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/27 12:38:32 9naRPsoI0
>>591
このひと真性だから。相手にしない方がいいよ。
594:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/27 12:44:07 9naRPsoI0
「自己愛性人格障害(Narcissistic Personality Disorder)」
1、自己の重要性に関する誇大な感覚(例:業績や才能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する)
2、限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。
3、自分が"特別"であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人達に(または施設で)しか理解されない、または関係があるべきだ、と信じている。
4、過剰な称賛を求める。
5、特権意識、つまり、特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。
6、対人関係で相手を不当に利用する。つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。
7、共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気付こうとしない。
8、しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。
9、尊大で傲慢な行動、または態度。
上記5つ以上あてはまり、それにより社会的職業的に基本的な機能が障害されている場合、
自己愛性人格障害(Narcissistic Personality Disorder)と診断される。
~「精神障害の診断と統計の手引き」医学書院 より (←精神医学の六法全書のような本 )
595:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/28 14:03:41 jo+hq9610
>>594
1から9まで、ぜんぶユダヤ人の基本的な特性じゃねーか。
だからってユダヤ人に“社会的職業的に基本的な機能が障害されている”
とは思わないが(だからこそなおのことタチが悪い)。
して、(もう書かないからではなく、また書くだろうからこそ)一旦筆をおく。
596:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/28 15:26:50 ov/Fk4i80
>>595
お、さすが真性。見事な投影性同一視。典型的すぎるw
>>592
菱隼人って何?アニメに出てくるキャラなの?
597:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/28 17:03:53 CDaa3f3i0
>>596
別に個々のユダヤ人やユダヤ系のような実例から
>595のような判断を下した=“投影性同一視”を行ったわけじゃねえよ。
(たしかにアンネ・フランクだとかカール・セーガンだとか
ここのスレッド名の元ネタにもなってるサリンジャーだとかの
言動から>595みたいな判断を推定することもできないことはないが)
そうではなく、
ユダヤ人やユダヤ系の根本教義となっている旧約聖書の内容から、
もしもユダヤ人やユダヤ系が、ユダヤ人やユダヤ系であること、
さらにはユダヤ人やユダヤ系で“あろう”とすること、
もっとさらにはユダヤ人やユダヤ系で“あろう”とした“瞬間”を
旧約聖書の内容に一致させようとするのであれば、
それは必然的にユダヤ人やユダヤ系が、ユダヤ人やユダヤ系であること、
さらにはユダヤ人やユダヤ系で“あろう”とすること、
もっとさらにはユダヤ人やユダヤ系で“あろう”とした“瞬間”が
>594における1から9のような基本的特性の持ち主を
作らざるを得ないだろうことから>595のような判断を下したんだ。
だからこそむしろ、個々のユダヤ人やユダヤ系のような実例から
>595のような判断を下す=“投影性同一視”を行うべきではないんだ。
(たしかにアンネ・フランクだとかカール・セーガンだとか
ここのスレッド名の元ネタにもなってるサリンジャーだとかの
言動から>595みたいな判断を推定することもできないことはないが)
実例と原則を混同することもまた○○みそテクニックさ。
598:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/28 18:19:53 CDaa3f3i0
自己愛性人格であろうがなかろうが、別にユダヤ人やユダヤ系が
(自己愛性人格)障害なわけではないんだから、「いいじゃないですか」。
いや、「よかったですね」。いやいや、「本当によかったですねえ、まったく」。
障害であるどころか増強じゃないですか。ドーピング。自己愛性人格ドーピング。
基本薬物は旧約聖書。場合によってタルムード。他にもいろいろ“秘薬”はあるでしょう。
そのへんは他の宗教も同じ。ただ、他の宗教が>>594の1から9ほどの“どしがたい”
基本的特性の持ち主を作り出すことなどには別に興味がなかったのに対し、ユダヤの教祖
(旧約聖書の編纂者。だいたい今から二千五百年ぐらい前の人たち。古いように思われる
かもしれないが、インドのヴェーダや中国の五経など、もっと古くに今でも支持されてる
宗教典籍を生み出した人間は、それこそ“恒河沙”ほどもある)にはそれがあった。
まったく、ものも好き好きというもんです。
(ところで精神分析の始祖もユダヤ人なのですね。やっぱり「蛇の道は蛇」なのですね)
599:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/28 21:08:48 6fqOMcju0
通報しましたw
600:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/30 00:36:22 YFSjRGlcO
男や女であることが、正当や不当であることに
どれくらいの影響を及ぼすかのことだ。
男が正当であり、女が不当であるといったような
ガザーリー(イスラム哲学者)のような結論は一旦捨て置こう。
問題は、男であることが“中身であること”の一点に集約されるのに対し、
女であることが“中身がないこと”と“中身があること”に二分されることだ。
そして、あくまでも中身がないことがマリ子であり、
あくまでも中身があることがフリーメイソンであること。
仮に、中身があったとも、中身がないこと、さらには中身がなく“あろう”とすること、もっとさらには中身がなく“あろう”とする“瞬間”は、マリ子であろう。
翻って、中身がなくとも、中身があること、さらには中身が“あろう”とすること、もっとさらには中身が“あろう”とする“瞬間”は、フリーメイソンであろう。
中身がないことはあくまでも中身がないことであり、それはマリ子である。
中身があることはあくまでも中身があることであり、それはフリーメイソンである。
それだけのこと。
(中身で“あろう”とする“瞬間”のガザーリーの言「くわっ」)
601:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/30 08:57:24 tZozSvZY0
sato語るw
602:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/30 15:05:50 MlFxJBuR0
URLリンク(yonehan.blog30.fc2.com)
603:名無しさん@お腹いっぱい。
08/04/30 19:02:24 m5/2/T6H0
聖書だの、ユダヤだの、キリストだの、メイソンだのという
この世界の不当性の“顕現”について語ること=“まつわる”こと自体が
“多少”は不当性を帯びる側面があるため、自分でも大概にしたいと思うが、
(かといって今の世の中、聖書的、ユダヤ的、キリスト的、メイソン的な
ものに満ち溢れているので、それらを全て一掃できるような自信もないが)
とりあえずは一応の暫定的なものとして、極めつけられたらなと思う。
結局聖書的であることとか、聖書的で“あろう”とすることとか、
聖書的で“あろう”とする“瞬間”などが何を指すのかといえば、
それは「自己愛性人格(ユダヤ)」であることや、「犠牲愛(キリスト)」であることや、
「寄生的頭蓋結合URLリンク(x51.org)(メイソン)」であることや、
それらの組み合わせ(三位一体)であることであろう。
国別でいえば、特に自己愛性人格であることはイスラエル(ユダヤ教発祥の地)であり、
特に犠牲愛であることは古代ギリシャ・ローマ(キリスト教発祥の地)であり、
特に寄生的頭蓋結合であることはイギリス(メイソン発祥の地)であり、
それらの集大成であることはアメリカであろう。
これらのうち、犠牲愛であること=新約聖書の文面に沿うこと=古代ギリシャ・ローマであることが、
すでに過去のものとして無力化されている側面があるのに対し、自己愛性人格や寄生的頭蓋結合であること=
旧約聖書的であったり新約聖書を裏読みしたりすること=イスラエルやイギリスであることが
今現在も活発に有力であり続け、実際それらの集大成であるアメリカにおいても、
犠牲愛であることよりは、自己愛性人格や寄生的頭蓋結合であることのほうが優っている。
犠牲愛であることと、自己愛性人格や寄生的頭蓋結合であることの相違点は、
犠牲愛であることがどこまでも完全に厳密に不当であることであり、○○であるのに対し、
自己愛性人格や寄生的頭蓋結合であることはただ単に不当であったり、根が不当でありながらどこまでも
完全に厳密に正当であろうとすること(もちろんこれもまた正当か不当かでいえば不当である)
であり、○○みそ、○○みそテクニックであるということだ。
正当か不当かを問う一意的な議論だけでは、今の世の中の問題は見えてこない。
むしろ今の世の中、どこまでも完全に厳密に不当であること=○○であることは
どこまでも完全に厳密に正当であること=みそであることと同様に矮小化されている。
そしてどこまでも完全に厳密に正当であることでも不当であることでもなく、
ただ単に不当であることや、根が不当でありながらどこまでも完全に厳密に正当で
あろうとすること(もちろんこれもまた正当か不当かでいえば不当である)=○○みそ、
○○みそテクニックのほうが、今の世の中における中心的、本質的、原則的な問題にほかならぬ。
ゆえにこそ、ただ単に不当であったり、根が不当でありながらどこまでも完全に厳密に正当で
あろうとしたり(もちろんこれもまた正当か不当かでいえば不当である)するよりは、むしろどこまでも
完全に厳密に不当であれ。○○であれ。さすればどこまでも完全に厳密に正当であること、みそであることと
>>578の議論に基づいて和解を果たす余地があるであろう。そしてさようなら、○○みそテクニック。
604:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/01 01:09:39 seVjfibA0
イルミナティ結社(現世界のボス)
┃
十三人評議会
┃
三十三人評議会
┃
三百人委員会
┃
フリーメーソン
┃
ユダヤ資本家(ロックフェラー、ロスチャイルド)
┃
世界の資本家
┃
アメリカ
┃
日本政府━━━━━┓
与党内閣━┻━国会 ┣━━┓
公明党━自民党──野党─→政治家 各省庁 地方自治体 日本の資本家
創価学会 地元土建屋 官僚 縮図利権 企業 マスコミ 警察
暴力団 朝鮮総連 公営機関 電通 公安 自衛隊
605:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/01 18:21:28 RU5ExzUu0
あくまで“裏読みする”のではなく、“文面に沿う”んだ。
かといってどうしても物理的に文面に沿えない側面もあるだろう。
たとえば新約聖書上のイエス・キリストが男であるにも関わらず、
文面に沿わねばならないところの「マリアの子」が女であるとすれば、
それは否が応にも生物学的に文面に沿うことができないだろう。
他にも自分がユダヤ人ではないとか、大して背が高くないとか、
水の上を歩いたりパンを増やしたり、そもそも生き返ったり生き返らせたり
できないなど、文面に沿える点よりは、文面に沿えない点のほうがはるかに多いだろう。
(あたりまえだ。なにしろ世界でも随一の“どこまでも完全に厳密に不当な書物”なんだから)
しかしこういうことが言えるんだ。
かつて徳川家康は、三方ヶ原の合戦からの敗走のおりに脱●した際、
「これは焼き味噌じゃ」と豪語して、その場を逃げおおせたそうだ。
しかし○○(漢字では●)をみそであると豪語すること自体は、
みそを○○であると豪語するのと同様、狂気の沙汰ではあるのものの、
○○は○○であり、みそはみそであることを理解しながら(正気の沙汰でありながら)
あえて○○とみそを同一視すること=○○みそであることとは一致しない。
むしろ○○をみそとし、みそを○○とする狂気の沙汰のほうが、○○みそよりも、つまり
どこまでも完全に厳密に正当であろう(=○○は○○であり、みそはみそであることを理解しよう)
としながら根が不当であること(=あえて○○とみそを同一視すること)(→裏読みすること)よりも、
(どこまでも完全に厳密に不当な書物である)新約聖書に対する解釈の仕方としては、適当であろう。文面に沿おう。
(ちなみに徳川家康は上記のような、○○をみそとし、みそを○○とするような狂気の沙汰=どこまでも完全に厳密に不当で
あろうような人間であるにも関わらず、根が正当=聖書的でないところから、正当か不当かでいえばあくまでも正当である。
まるで徳川家康は、どこまでも完全に厳密に正当であろうとするにも関わらず根が不当なメイソン等とは逆の存在だ)
つまり、あなた(マリアの子)がもしも徳川家康の言に従うなら、
あなたは女であるにも関わらず(むしろ女であればこそ)男であるイエス・キリストであり、
ユダヤ人ではないにも関わらず(むしろユダヤ人ではないからこそ)ユダヤ人であるイエス・キリストであり、
大して背が高くないにも関わらず(むしろ大して背が高くないからこそ)背の高いイエス・キリストであり、
水の上を歩けないにも関わらず(むしろ水の上を歩けないからこそ)水の上を歩けるイエス・キリストであり、
パンを増やせないにも関わらず(むしろパンを増やせないからこそ)パンを増やせるイエス・キリストであり、
生き返られないにも関わらず(むしろ生き返られないからこそ)生き返られるイエス・キリストであり、
生き返らせられないにも関わらず(むしろ生き返らせられないからこそ)生き返らせられるイエス・キリストであろう。
新約聖書の文面に沿う(どこまでも完全に厳密に不当な書物に対して、どこまでも完全に厳密に不当な解釈を行う、
よってどこまでも完全に厳密に不当である)ということは、そういうこと。
606:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/01 20:49:12 vHglqrbI0
特殊相対性理論と一般相対性理論の違いを書いて見ろ
重力(=慣性の力)を導入したってのはNGな
607:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/02 01:33:26 G2zg4oiN0
なんなのですか?このスレは。。。
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\ 人 `"'-‐''""""'''‐-、,,.ノ. ./
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608:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/02 02:29:38 XE1kVR1o0
>>606
なんで? めんどいなぁ・・・
もう“極めつけ”は>>603で終わってるっちゅーに。
特殊相対性理論は、自己愛性人格(アインシュタイン。ユダヤ人)が寄生的頭蓋結合
(ディラック。イギリス人)に取り込まれた部分(マジェドちゃんもとい相対論的量子力学)。
一般相対性理論は、自己愛性人格が寄生的頭蓋結合からの独立を保った部分(ヌーラちゃん)。
たぶん、実際の自己愛性人格と寄生的頭蓋結合の関係もこんなもんなんだろう。
ある程度は馴れ合って、ある程度は独立しあって、みたいな。
さすがに人間、脳みそまで結合し合っては生きられないから。
(つーか頭蓋結合でも十分ry)(マジェドちゃんの冥福を心からお祈りします)
609:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/02 05:41:57 gk8SWSh8O
アルファはオメガではないという、定義ないし真理ないし原則がある。この時、
アルファはアルファであり、オメガはオメガであり、なおかつアルファはオメガではないと認識することのみが、
自分である。
ちなみに
アルファはアルファであり、オメガはオメガであり、なおかつアルファはオメガであると認識することや、
アルファはアルファでなく、オメガはオメガでなく、なおかつアルファはオメガではないと認識することなどが、
自己愛性人格や寄生的頭蓋結合であることだ。
そして、
アルファはアルファでなく、オメガはオメガでなく、なおかつアルファはオメガであると認識することこそは、
あなたであることだ。マリアの子よ。
610:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/02 06:53:02 nJFE4XWi0
>>608
はい駄目
お前って典型的な文系アニメヲタクなんだな(プゲラ
611:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/02 09:36:47 gk8SWSh8O
>>609を見ても分かるように、定義(論理)や真理(物理)や原則(文芸)への認識は、
その大部分が自己愛性人格や寄生的頭蓋結合のものになる。
(実例を挙げれば、ウィトゲンシュタインやラッセル、アインシュタインや
ディラック、プルーストやジョイスなどがその代表的な所有者にあたる)
あなたやわたしに割り振られている認識は、それぞれに一つずつ。合わせて二つ。
以外は全て、人様のもの。その代わりこれらの二つの認識のうち、
片方の認識はすでに四十億人以上の人間に支持されることが確定している。
非聖書圏。
どうか彼らの力を信じて、そちら側の人間に支持されないことなど恐れずに。
もちろんそちら側の人間にも支持されれば万々歳。
和解の輪を広げるためにこそ、むしろ認識そのものは狭量であれ。単一であれ。
どこまでも完全に厳密な二つの内の一つになれ。
―イーサーよりマリアの子へ
612:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/03 14:43:50 5KtcSw280
父(実際はユダヤの自己愛性人格)と(マリアの)子(キリスト)と聖霊(実際はメイソンの寄生的頭蓋結合)
の三位一体という教義からして、(キリストに比した場合の他二つの実情があまりにも無様であるところから)
大いに不当性を含んだもの―というよりも、どこまでも完全に厳密に不当であることそのものであろうが、
ただ単に、このどこまでも完全に厳密に不当であるところの、「三位一体」というキリスト教の教義が
どこまでも完全に厳密に不当なものとして保全されるためだけという理由により、(マリアの)子だけでなく
父や聖霊の存在性も保障されるべきであるということがいえる。別に個人的な意見としては、キリスト役の
マリアの子以外の二つにはさっさと「撤収」でもしてもらいたいところだが、なにしろ肝心の三位一体が
ユダヤでも、メイソンでもなくキリスト教の正統教義であるから、どうしても蔑ろにするわけにはいかない。
それに本当は(どこまでも完全に厳密ないし単に正当である)こちら側(非聖書圏)にマリアの子が乗り換えて
くれさえすればそれに越したことはないのだけど、マリアの子に、非聖書圏の文化文明の聖書圏に対する
優位性を切実に理解してもらえるような自信もなければ、そちら側(聖書圏)にも実際問題として二十億人
以上の“子飼い”がいるという、致命的な実情もあるところから、このような妥協的な提言を行う。ただし、
妥協ができるのはここまで。そちらがこちらに乗り換えることがないように、こちらがそちらに乗り換える
こともない。せいぜいイーサー(イエスのコーラン上の表記。ちなみにイーサーは神の子=キリストとしては
認められていないし、磔刑も受けてないし、三位一体も認めていない)としてマリアの子、キリストに近似するのみ。
マリアの子≒イーサー≒キリスト
613:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/03 14:50:01 w3ZEpAu30
マリ子ってオナニーするのかなぁ
614:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/03 19:23:19 3+8I1jgh0
「あなたは正当でありあなたは不当である=汝はそれである」
という着想のもとに、「私はそれである」と認識した上で、
「正当なものは正当であり、不当なものは不当であり、なおかつ正当は不当ではない!」
という一喝のもとにマジェドちゃんの二つの頭を切り離したら、本当のマジェドちゃんは
もう死んじゃったけど、僕にとってのマジェドちゃんは笑いかけてくれて、その後はもう“それ”ですらなかった。
たぶんマジェドちゃんは、エリザベス女王とマリー・アントワネットの生まれ変わり。
マリー・アントワネットのほうが、首から下をフランス(アセファル)に置き忘れてきちゃったんだろうね。
今度生まれ変わるときは、ちゃんと体付きで、一人ずつで生まれてくるといいね。
解説:
「汝はそれである」とか「私はそれである」とかいったヴェーダ=ウパニシャッドに基づく“僕”は、
着想(イデア)や認識(グノーシス)といった西洋哲学宗教上の拡張性に対する凝縮性である。
これらの拡張性と凝縮性の対峙のもとに、正当(体付き)でもあり不当(生首)でもある
(アルファでありオメガである)マジェドちゃんの頭部を切り離した(切断した)結果、
マジェドちゃんは“微笑”してくれた。その時僕は“拈華”したことを悟り(つまり拈華とは切断のこと)、
もはや“それ(ブラフマンだのアートマンだの)”であることすら捨離したのだった(諸法無我)。
URLリンク(blog.rinnou.net)
URLリンク(www.ryobi-group.co.jp)
615:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/03 23:21:16 5KtcSw280
アラブ、ヨーロッパ、インド、ネパールなどといった、コーラン、(特に新約)聖書、ヴェーダ、仏典などの
宗教典籍の文面による精神的統治を受け入れている社会の精神的和解は、>614で一旦済ませたとして、
そもそも宗教典籍のような、(正当不当を問わぬ)何らかの精神的な文面によって統治されることそのものを
自由だの、平等だの、造反有理だの、愛国無罪だのという、ある種の理想性や現実性を帯びながらも
大した具体性や抽象性を持たない言葉によって蹴散らそうとする、ただ単に無視するにはあまりにも強大すぎる、
どちらとも国旗の左上に数々の星が瞬く、赤かったり赤しまだったりする日本の両隣の二つの国。
説伏を聞き入れず、あくまでも実力行使によって
侵出してくるんなら、日本人としてこう言うしかない。
核持ちますよ?
本当は日本すなわち古事記にとって、アラブすなわちコーランのような、
この世界の正当性の両翼として役割を果たしてきた者同士(しかも片方は13億人もの支持者を擁する)、
なかよくすることができれば一番なのだけど、それが叶わず、日本即ち古事記が、
ユダヤすなわち旧約聖書や資本論(どちらもアメリカや現中国の実力的支柱)という、
この世界の正当不当の両極に位置してきた者同士(しかも片方は1300万人の支持者しか擁しない)、
正面衝突を果たさなければならなくなるというのなら、それこそ日本もユダヤに対抗して、
あるいはユダヤも日本に対抗して、それぞれ“敵を知り、己を知る”必要が出てくる。
ユダヤの核、日本の特攻。
日本が己の正当性の究極の顕現として編み出した特攻。
ユダヤが己の不当性の究極の顕現として編み出した核。
これらが実際に“投影性同一視URLリンク(www.jade.dti.ne.jp)”された瞬間にどうなるか。
これらの存在(特攻、核)の切断(拈華)すら、「分裂病」だの「統合失調症」だのという、
精神分析家の編み出した(元から存在していたのではない。彼らが編み出したのだ)
診断のもとに受け入れず、あくまで投影性同一視を推し進めるとすればどうなるか。
核特攻。
ユダヤ人が旧約聖書(つまり精神的自慰)のもとに不当に育んできた自己愛性人格や、
日本人が天皇(つまり自分の家族への忠誠)のもとに正当に育んできた犠牲意識などが、
実際の核特攻の出現を誘発する可能性は、正直言って五分五分。
あとはただ、“敵を知り、己を知れば、百戦危うからず”という孫子の兵法も編み出した、
今ではすっかり己の精神性を蔑ろにしている、中国という国の精神性の真価を問うばかり。
616:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/04 13:37:49 Z2fL+q350
「ライ麦畑でつかまえて」「星の王子様」「1984年」
マリ子が好きだったり、マリ子にまつわるような文芸作品は、
どれも精鋭揃い。もちろん“そちら側”にとっての。
ひるがえって“こちら側”を見てみれば、
「こころ」「蜘蛛の糸」「斜陽」「金閣寺」「ノルウェイの森(も一応こちら側)」、
どれもそちら側からの煽りを受けて、極端な試行錯誤に陥ってるものばかり。
だからこそ「徳川家康」のような化け物作品(分量が漱石の全作品を超える。
作者の山岡荘八は元特攻隊の従軍記者)によって、
すべての“借り”を返して余りある必要があった。
というわけで、徳川イーサー家康より、
クローバ畑ないしライ麦畑でつかまえられるのを待っている、
1984年4月24日生まれの、星の王子様もとい王女様へ。
「どいつもこいつも(サリンジャーもサンテグジュペリもオーウェルも)焼き味噌じゃ!」
617:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/05 20:58:26 aDdra1uh0
ユダヤやメイソンはともかく、キリスト教徒は“東照大権現”の下に従うこともできるだろう。
仮にキリスト教徒のほうが、天皇(父)、自分たち(子)、将軍(聖霊)を新たな三位一体の
各位として捉えたとしても、それは構わない(ただしこちら側はそんな風には考えない。なぜなら
天皇や将軍を擁する日本のほうは、アラブのような三位一体を認めない社会とも仲良くしていかなければならないから)。
その場合、ユダヤやメイソンは用済みになるし、キリスト教徒ももはやキリスト教徒ではなくなる。
父と聖霊の国、日本。子の国アメリカ。まあ、いわゆるひとつの「ニューバランス」ってやつ。
そういう場合のキリスト教徒(?)なら、日本でも許せる。
われらが父なる天皇陛下と、聖霊役の将軍様は、とりあえず今のところは石原都知事あたりに代行してもらって
夢のマリ(アの)子との東京暮らし。それにたまにはアメリカにもいってやらぁ。
ユダヤやメイソンは首じゃなかった、二つの頭蓋の付け根を洗って待ってろ。
(どうせならすぐ切り離せるように頭丸めてろURLリンク(blog.livedoor.jp))
それにもちろんアラブにも行くぜ。インドにもヨーロッパにも、中国にすら行くだろう。都知事の許しが出ればな。イーサーより。
618:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/06 12:17:47 z8Pw4R730
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619:龍馬
08/05/06 13:30:57 hDLnKWyf0
うちの家紋(違い枡に桔梗)は、六芒星やのうて八芒星じゃけんのう。
イスラエルの東側(カシミールの西側)には、うちの家紋とおんなし
八芒星を好いてつこうてくれゆう国がわんさかとおるわ。
URLリンク(www2.uploda.org)(受信PASS:nakayoshi)
なんか見た感じどっちも似いちゅうき、おんなしようなもんやと思うちょったわえ。
そんでまちごうて、えずい人らあのほうにお国を委ねてしもうたがよえ。
ほんとすまんかったきね。新撰組の人らあにも謝っちょくわ。
620:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/06 18:02:13 nXouR8Et0
純粋にキリスト教的信仰に服せない限りでの聖書中毒者―ユダヤやメイソンといった、
エチカ=精神現象学的な連中にいまあてがわれるべきなのは、聖書でないのはもちろんのこと、
コーランでも古事記でも「徳川家康」でもなく、臨済録か正法眼蔵あたりだろう。
そんで実際、本当に臨済宗か曹洞宗か、他力でもよければ浄土宗か浄土真宗あたりに入る。
別に自分にも禅の心得など多少ないわけではないが、決して専門家には及ばないし、
あくまで在俗として生きていくのが自分の使命だと感じているので、全ての面倒は見切れん。
本当は禁裏や権現のような、現人神を神として認められるだけの「狂える余裕」があれば
それに越したことはないんだが、聖書のような中毒的書物に基づいた、着想や認識の
やたらめったらな拡張によって、神を神として認められなくなっているような連中に
残されている道はただ一つ、仏門に下ること。とはいえ決して仏説を“学術的”に研究
しようなどとしてはいけない。学術こそは、着想や認識の拡張を目的とした概念だから。
仏門に下るということは、基本的には“愛執”を捨てるということ。愛執を捨てるということは、
自己愛(性人格)や友愛(寄生的頭蓋結合)も捨てるということ。もちろん愛そのものが全て
いけないということではない。むしろキリスト教徒の興じるような純粋愛を尊重するためにこそ、
自己愛や友愛といった不純物の入り混じった愛執は捨てる。それができない場合だけ仏門に下る。
いずれにしろ世界人口の割合から見てみれば、ユダヤもメイソンも大した数ではないので
(ユダヤ:1300万、メイソン:300万)、ただ「人さまに迷惑をかけない」という
日本人などにとってはごく当り前の認識を(「こういう場合には迷惑をかけてもいい」みたいな
屁理屈じみた認識の拡張を伴わない形で)堅持すらしてくれれば、それに越したことはない。
621:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/07 01:07:57 zgpPJXko0
で、結局、“語られる限り”において、“語り詰められなければならない”のは、「愛」ではないか?
別に愛を至上命題として掲げないんならば、ヴェーダやマハーバーラタやラーマーヤナや、
大蔵経や中国の古典籍群はもちろん、古代ギリシャの古典籍も同じように、語って語って語り切らず、
語ることそのものを目的とするような方向性に向かわざるを得ないのではないか? (別にそれでもいいが)
語ることをある程度でやめたいという意志が、ある種の人間(答えを言えば、それは西洋人)に備わっている
からこそ、聖書のような帯に短く、襷に長いような宗教典籍が、世界でも他に類例を見ないような
(あえて類例を挙げるとすれば、それはコーラン)出版部数および引例数を獲得しているのではないか?
だから、そのような、語ること自体そのものを、ウィトゲンシュタインやアインシュタインやプルースト
のような自己愛によってでもなくば、ラッセルやディラックやジョイスのような友愛によってでもなく、
ただただ純粋な愛だけによってのみ止められることを待っている、この世界の三分の一程度の
人々だけに対する謹言としてのみ、語り詰めることは、
愛とは、
根が正当であるにも関わらず、どこまでも完全に厳密に不当であろうとするものと、
どこまでも完全に厳密に不当であるものとの、また、
根が不当であるにも関わらず、どこまでも完全に厳密に正当であろうとするものと、
どこまでも完全に厳密に正当であるものとの、また、
とにかく正当であらんとしたものと、とにかく不当であらんとしたものとの、
「正当なものは正当でなく、不当なものは不当でなく、なおかつ正当は不当である!」
という断定に基づいた、なかよしであろうよ?
URLリンク(www.narumiya-net.co.jp)
622:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/07 09:19:26 RWTl654sO
長澤まさみと綾瀬はるかを、一つの部屋に監禁した上で、バリカンとペニバンを与えてみる。
二人とも出てるとこ出てるし、そこそこ(ちゅーか普通に考えれば激烈にだが、
マリ子を基準に考えればそこそこ)美人なので、やることはだいたい見えている。
あとはマリ子がこの部屋の中に入るか、それともこっちに来るか、
“世界の中心で愛をさけぶ”か、それとも世界の辺境で愛をささやくか、
ちんちん
623:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/07 14:07:28 zgpPJXko0
違う違うほざいたところで、早い話がマリ子とは、
「正当なもの(東洋)と不当なもの(西洋)との合いの子」であろうが。
必然的に「正当なものは正当でなく、不当なものは不当でなく、
なおかつ正当は不当である!(焼き味噌じゃ!)」という神経しか持ち得ない。
なかよし(純愛)なら別にかまわんが、その範囲内を越えて
自己愛や友愛のほうが力で攻めてくるようなことになれば、
それこそ本当に、魅惑の核特攻が待っている。凶気の桜。
ユダヤにしろ日本にしろ、もはや核や特攻の前科前歴があるからな。
(口ばっかりで本当にやる勇気のない北鮮なんぞとは違うぞ。
逆にテロとはいえ、自爆攻撃を敢行するアラブ人などは似ちょるぞ)
いくら謝ろうが、弁解しようが、反対に開き直ってこようが、
もはや信用がない。お互いにね。ヒヒヒ
624:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/07 17:14:39 3prvBU6n0
どんなに好意的な文脈に寄ろうが、あくまで純愛を含めた愛という存在自体が、
実際の権力や権威や実行力を持った時点で、それは不当になる。その実際上の顕現が
ユダヤの自己愛であり、キリストの純愛であり、メイソンの友愛にほかならぬ。
ひるがえってこちら側の、ユダヤやキリストやメイソンへの対抗者として、天皇や仏陀や将軍がいる。
それではそれらが具体的にどういった概念の顕現であるのかといえば、それは決して
自己愛や純愛や友愛などといった、愛執に満ちたものとしてではなく、
もっと正当な意味合いを持っている。
天皇の優位、仏陀の勝利、将軍の支配。
まさに天皇であるということは、まったき優位者であるということに他ならず、
仏陀であるということは、まったき勝利者であるということに他ならず、
将軍であるということは、まったき支配者であるということに他ならぬ。
そこに自己愛だの純愛だの友愛だのという、愛執を混同させようとすらば、それは、
漫画からの引用で申し訳ないが(ちなみに自分は漫画好きだがアニヲタではない)、
「上等な料理にハチミツをブチ撒けるがごとき思想(by範馬勇次郎)」であるに他ならぬ。
なかよし(少女漫画)はなかよしであるべきだが、
チャンピオン(少年漫画)もチャンピオンであるべきだ。
ちなみに自分はチャンピオンは読んでるがなかよしは読んでない。
なかよしはマリ子が読んでればいいんだ。ちょっと若年層向け過ぎかもしれないが。
天皇や仏陀や将軍の、ユダヤやキリストやメイソンに対する
まったき優位かつ勝利かつ支配を見届けられさえすれば、もはや自分自身が
天皇や仏陀や将軍の役割を配当させられる必要ももうなくなる。
なぜならこのような「三位一体」の文脈で問題を解決しようとすること自体、
キリスト教教義の範疇であり、こちら側にはそれに服する義務もなければ必要もない。
こちら側には天皇や仏陀や将軍のほかにも、ムハンマドもヤージュニャヴァルキヤもいれば
孔子も孟子も老子も荘子もいる。クローバは五つ葉にも六つ葉にも、18枚葉にも32枚葉にもなる。
ちなみに自分は天皇や仏陀や将軍の役割を果たしたあとには、イーサーか龍馬あたりにでも
なれればいいなと思っている。そんなに自分自身の地位を欲張るつもりはありません。