10/07/24 14:04:15 xG+FvBke0
>>639
妻を私的な生産用具としていたブルジョアと違い、共産主義者はそんな
ことはしないと宣言する。いかに19世紀といえ、婦人は「生産用具」という
表現はキツい。女性は産む機械と同じレベルである。
マルクスはブルジョワが「自分たちの妻を互いに誘惑、それを何よりの
喜びとしている」と言う。不倫は何時の時代もあったが、他人の妻に手を
出しても、己の妻に同じことをされれば逆上するのが殆どの男ではないか。
これはブルジョワだけでなく下層階級にも兄弟や友人の妻と密通する者も
いた。権力者が力にモノを言わせ、身分の下の者の妻や娘を自由にしたのは
共産主義圏も変わりない。非公認の売淫も続いていた。
レーニンは家庭に入り家事や子育てに専念する女を非生産的と見なし、
家内奴隷と表現した。その抑圧状態にある女性解放政策を推進する。こうして
ソ連で女は家内奴隷ではなくなり、労働者という名の家外奴隷と変貌する。
帝政時代では生産用具の存在だったのが、生物学的に生産の他、労働用具の
役割も加わる。単なる生産用具としての婦人の地位の廃止の結果だった。
毛沢東も女に重い肉体労働を課す。「女性は男性と同じだけの肉体労働が出来る。
産前産後に肉体労働が出来ない、ということだ」との言葉が『マオ』上巻にある。
女性解放、地位向上といえば、聞こえは良い。だが、実態は伝統的な家庭の
否定と破壊だった。旧ソ連時代、離婚と婚外児が激増したという。颯爽と仕事を
する共産党幹部女性の姿はメディア映えしたが、プロパガンダの側面もあった。
ただ、欧米の資本主義国も、ワーキングウーマンこそ新しい女の生き方とばかり
喧伝する風潮では、奇妙なことに共産主義圏と似ている。こちらの背後にいるのは
資本家であり、安い労働力確保のため女の社会進出は望ましいことなのだ。権力側
が甘言や美辞麗句を使う際、腹黒い意図があるのは体制が違えども同じだろう。