10/07/24 14:01:59 xG+FvBke0
共産主義といえば男女平等を掲げ、女性を尊重する思想とのイメージが根強い。
ネットが発達した現代は、その実態がやっと知られるようになってきたが、'80年代
でも男女平等の行き渡った中国や旧ソ連に憧れる日本の女は特異ではなかった。
だがマルクス自体は男女平等など、一言も説いてなかったのだ。
婦人共有を公認すると取れる発言をしている。
『共産党宣言』(岩波文庫)第2章の一部を抜粋したブログ記事がある。
URLリンク(d.hatena.ne.jp)
「そして共産主義者よ、君たちは婦人の共有を採用しようとするのだろう、
と全ブルジョア階級は一斉に我々に向かって叫ぶ。ブルジョアにとっては、
その妻は単なる生産用具に見える。だから生産用具は共同に利用させるべき
である、と聞くと彼らは当然、共有の運命が同様に婦人を見舞うであろうとしか
考えることができない。ここで問題にしているのは、単なる生産用具としての
婦人の地位の廃止だ、ということにはブルジョアは思いもおよばない。何しても
共産主義者のいわゆる公認の婦人共有に驚き騒ぐわがブルジョアの道徳家
ぶりほど笑うべきものはまたとない。共産主義者は婦人の共有を新たに取り
入れる必要はない。それはほとんど常に存在してきたのだ。
わがブルジョアは彼らのプロレタリアの妻や娘を自由にするだけでは満足
しない。公娼については論外としても、彼らは自分たちの妻を互いに誘惑して、
それを何よりの喜びとしている。ブルジョアの結婚は実際には妻の共有である。
共産主義者に非難を加えうるとすれば、せいぜいで共産主義者は偽善的に
内密にした婦人の共有の代わりに、公認の、公然たる婦人の共有を取り入れ
ようとするという非難ぐらいであろう。いづれにせよ、現在の生産諸関係の廃止
とともに、この関係から生ずる婦人の共有もまた即ち公認および非公認の
売淫もまた消滅することは自明である…」
婦人の共有を言い出したのは、実は近代共産主義者ではない。既に5世紀末
のサーサーン朝ペルシアに誕生したマズダク教の開祖は、財産や婦人の共有を
説いている。マズダク教徒の行いが原始共産主義運動といわれる由縁である。
これにより、ペルシア社会は大混乱に陥ることとなった。