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いまを遡ること15年、1995年の秋。北京の北西の郊外に位置する北京大学の広大なキャンパス内の西門近くに、
一等味のいい韓国料理屋があった。当時、留学生だった私は、毎晩のようにそこに入り浸っていた。
もう一人、その店によくやってくる日本からの留学生がいた。その頃出始めたばかりの、
ひと瓶30元(約400円)の「万里の長城ワイン」を豪快に開けては、焼き肉を平らげる女性だった。
約300人いた日本人留学生の中で、マスコミ出身者は、私と彼女しかいなかったから、自然に親しくなって、
ワイン片手に、よく放談に華を咲かせたものだ。
私 :なぜ、北京くんだりまで来たの?
彼女:私ね、日本生まれの日本育ちだけど、父が台湾人なの。
それなのに、中国語がまるでできない。それを情けなく思って、
とにかく中国へ行って集中的に中国語を勉強しようと決意したの。
私 :テレビの仕事は休んでいるの?
彼女:私は不器用な性格なのか、何かを本気で始めようと思ったら、
他のことをスバッと捨ててリセットするの。だからテレビの仕事は全部辞めて来た。
私 :中国人はどう?
彼女:単刀直入なところが好き。互いにホンネをぶつけ合って議論するのって、
私、嫌いじゃないから。でもまだ自分の本当の気持ちが、中国語でうまく表現できないのが歯がゆい。
一年後の1996年秋、私は一足先に帰国し、彼女は、すでに中国語が相当上達していたにもかかわらず、
「まだ勉強し足りない」と言って残った。最後に酌み交わしたのも、安っぽい「万里の長城ワイン」だった。
そして彼女は翌年、帰国し、その後は、また別な人生を歩み始めた―。
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