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昭和59年4月23日、大阪・京阪天満橋駅前。青森からトラックで行商にきた人が、はるばる運んできた赤いりんご
80箱をトラックの荷台に積んで売っていた。桜の季節で、駅前は近くの桜の名所、造幣局の 「通り抜け」 に訪れた
人たちでにぎわっていた。
事件はその人が、電話をかけるため目を離したわずかなすきに起こった。
リンゴの山に、「試食をしていただいて結構です」と垂れ幕がしてあった。それをみた人が、つい一つ、手にした。
「リンゴはただやで」ということになり、1個どころか何個も手にする人が出た。「押さんといて」。群集心理に火がつき
トラックの前には身動きもできない人だかりがした。興奮してかリンゴの山にのぼり、人がきを目がけてボンボンとリンゴを
投げる背広姿の男の人もいたという。千数百個のリンゴはアッという間になくなってしまった。
かえってきた青森の人は、ぼうぜんとした。最初は何が起こったかわからない。
「いまさら警察に訴えてもしかたがない」と被害届も出さなかったが、マスコミに「大阪は本当に怖いところ」ということばを
残して帰った。
(大阪新聞75周年記念誌掲載。掲載当時、大阪府民からは恥じる言葉や謝りたいという意見とともに、
「うそつきの青森百姓を出せ」「ブッ殺したれ」と脅迫まがいの電話が多数あった)