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仙谷官房長官
徳島県生まれ。父は裁判所書記官、母は高校教師。[1]
徳島県立城南高等学校卒業後、1964年東京大学に入学、全共闘運動のリーダーとして活動した
在学中の1968年に司法試験に合格し、東大を中退。司法修習23期(同期に漆原良夫)を経て弁護士登録。
1971年から弁護士活動を開始。弁護士時代は労組事件や日本教職員組合関連の案件を扱った。
麹町中学校内申書事件の弁護人も務めている。また、所属していた弁護士事務所の部下に福島瑞穂らがいる。
学生時代の「窃盗」
2010年3月1日、ラジオ日本の番組に出演した際にパーソナリティからあだ名について聞かれ、
「東京大学在学時はケロヨンと呼ばれていた。理由は酒に酔って薬局から看板を失敬し下宿に飾っていたから」と答えた
当時の学生は学園紛争において機動隊から奪った盾やヘルメットなどを武勲として部屋に飾っていたという時代背景がある。
このおっさん、いまだ学生運動してる気分だろ、若者にどれだけ迷惑をかけ続けるんだ団塊の世代は
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