【三重】生活保護の中国残留孤児 募金で渡航費用90万円集まりハルビンへ墓参りat NEWSPLUS
【三重】生活保護の中国残留孤児 募金で渡航費用90万円集まりハルビンへ墓参り - 暇つぶし2ch1:ちゅら猫 ◆CHURa3Ewlc @ちゅら猫ρ ★
10/07/03 22:31:26 0
残留孤児 感謝の旅へ
◇◆伊勢・松阪の夫婦3組、中国に墓参◆◇

伊勢市と松阪市で暮らす中国残留日本人孤児の夫婦3組が3日、中国で死亡した肉親の墓参りのため、
中国東北部のハルビンなどを訪れる。中国人の養父母ゆかりの人たちと交流し、感謝の気持ちを伝える。

◆養父母の縁 交流も◆
伊勢市の北村純子(すみこ)さん(70)は1945年3月、開拓団員として、徴兵されていた兄の勝一さんを除き、
両親ときょうだい6人と旧満州に渡った。5歳の時だった。
両親ときょうだいの一部は敗戦後、旧ソ連軍の収容所内で病気などで死亡。北村さんは中国人夫婦の養女として育てられた。
94年1月、血液鑑定の結果、度会町で農業をしていた勝一さんの妹と判明。同年11月、中国人の夫と三男を伴って永住帰国した。

県営住宅で暮らしながら、中華料理チェーン店の工場で材料の野菜を切るアルバイトとして10年余り働いた
4年前に退職し、いまは生活保護を受けている。

50年近く中国で暮らしていたため、日本語は片言しか話せず、地域からも孤立してきた。
「中国では日本人、日本では中国人と言われた。生活をするのが精いっぱいだった」と話す。

96年6月に永住帰国した伊勢市の蝉平(せみひら)正義さん(66)は大台町の出身。開拓団員となった両親と3人で旧満州へ渡った。
2歳で終戦を迎え、まもなく両親は死亡。子どものいない中国人の農家の夫婦に引き取られた。

「18歳の時に身分証明書をつくるまで、自分が日本人だとは知らなかった」と蝉平さん。日本には身寄りがいないため、
元開拓団員の支援者が身元引き受け人となり、永住帰国したが、国の施設で日本語を学んだものの身につかなかった。
帰国前に事故で右腕が不自由になり、仕事にもつけず生活保護を受けた。

2人とも、帰国後10年以上になるが、生活が苦しく、中国で眠る両親らへの墓参りはかなわなかった。
>>2へ続く 

2010年07月03日 朝日新聞
URLリンク(mytown.asahi.com)


レスを読む
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch