【政治】菅直人首相の「左翼性」 安倍元首相「史上稀に見る陰湿な左翼政権」 麻生元首相「これだけの左翼政権は初めてだ」at NEWSPLUS
【政治】菅直人首相の「左翼性」 安倍元首相「史上稀に見る陰湿な左翼政権」 麻生元首相「これだけの左翼政権は初めてだ」 - 暇つぶし2ch2:影の軍団ρ ★
10/06/22 09:57:52 0
「確か朝日新聞だったと思います。投書の趣旨は当時、八幡製鐵と富士製鐵が合併し
新日本製鐵が生まれたことを批判したもので、このような大企業どうしによる大型合併は、
必ず弱小企業にしわよせがくるからよくない、という内容でした。私が彼に『君、あんな記事を投稿したの?』
と聞いたら、照れくさそうに『まあね』とか言っていました」

学内改革を掲げて学生運動に熱中し、大企業批判を繰り広げる若き日の姿からは「左翼」的な要素が確かに感じられる。
菅氏は学生運動にのめり込むあまり、大学3年頃から教室には顔を見せなくなり、1年留年。

卒業後、特許事務所に勤め、弁理士になるが、これは同級生たちに菅氏が語ったところによると
「左翼運動をやりながら、卒業すると何事もなかったように大企業に勤めて平然としている奴が多い。
俺は違う」という理由だった。ちなみに弁理士の試験に合格するのは、4度目の受験のときだ。

弁理士合格と同時に市民運動家としてのキャリアをスタートさせた菅氏は、まず「よりよい住まいを求める市民の会」
という団体で、市街地の農地に対して宅地並みの課税を求める運動を始める。

農地の課税額が上がれば、手放す人も出て、結果的に団塊世代がもっと安い値段で住宅を
手に入れられるようになるという発想だった。農家の戸別補償を決めた現在の民主党の考え方とは、相容れない思考だろう。

市民運動を続けるうち市川房枝氏の知遇を得た菅氏は、1974年の参院選で市川氏の選挙事務長を務め、
自らは'76年の衆院選に初出馬するも落選。その後、'77年参院選、'79年衆院選でも落選し、
'80年に社会民主連合から出馬して念願の初当選を果たした。

菅氏の初代公設第一秘書を務め、現在は民主党・川内博史代議士の秘書でもある湯川憲比古氏が言う。
「菅さんは初当選した頃から『野党第一党の党首になりたい』とよく言ってました。なぜそうなのかと言えば、
何かが起きて政権交代があれば、野党第一党の党首は首相になれるポジションだからです。

党首に対する本人の思いは強く『俺はデパートでなくていい。人の流れが変わったときに売り上げで
トップに立てるスーパーの一番店になりたいんだ』という言い方もしていましたね」(以下略)



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