【皇室】天皇・皇后両陛下、御一家十人で迎賓館赤坂離宮を御視察 明治以降の建築で初めて国宝指定at NEWSPLUS
【皇室】天皇・皇后両陛下、御一家十人で迎賓館赤坂離宮を御視察 明治以降の建築で初めて国宝指定 - 暇つぶし2ch122:名無しさん@十周年
10/05/30 17:42:49 2TvOjcNL0
>>103
なんだ、前後のイイ話を省略するなよ

 さて、最後になったが、もはや日本中で有名になってしまったお2人のプロポーズのとき。
思えば、礼宮さまが20才、紀子さんがまだ19才のときである。
紀子さんが学習院大に入学した昭和60年4月から約1年2ヵ月後の“電撃的プロポーズ”は、礼宮さま自身の口から次のように語られた。
「プロポーズの言葉はたしか、昭和61年の6月26日だったと思いますけれども、たしか、『私と一緒になってくれませんか?』と、
そのようなことをちょっと話した記憶がございます」これに対して、紀子さんは、「私は『よく考えさせていただけませんか』と申し上げました」
と答えたのである。礼宮さまは、さらに言葉を続けて、こう語られた。
「場所は目白近辺。夜、集まりがございまして、私が途中まで送っていったわけです。
ちょうど横断歩道のところで信号待ちをしている間に、ついつい長話になって、そのときです」
礼宮さまの告白もまた、じつに素直であった。そして、こうして日付まで正確に記憶していることは、お2人の恋の真剣さをハッキリと裏付けることとなった。

その夜、JR目白駅からさほど離れていない住宅街の一画にある小さなスナックに、お2人はいた。
礼宮さまがいう「集まり」とは、自然文化研究会の仲間の集まりのことで、礼宮さまのグループはしばしば、この小さなスナツク『祢禰(ねね)』を訪れていた。
ママの清水祢彌さんは、当時をふり返り、会見後のマスコミの取材に次のように答えている。
「あの日のことだと思うんです。宮さまは、12~13人のご学友といらしたんですが、10時近くになると『もう遅いから』と、紀子さんが先にお立ちになったんです。
そのとき、『じゃ、私が送りましょう』と、宮さまが紀子さんを送っていらっしゃったんです。
店を出るとき、お友達から『もう帰って来なくていいぞ』なんて冷やかされていました。
それまでにも何度か、紀子さんをお宅まで送られることがありましたけど、だいたい10分か15分ほどでお戻りになっていたんです。
だけど、その夜は、30分たっても戻られないので、本当に帰ってみえないのかしら? と思っているうちに、やっと帰ってみえたんですよ。
きっと、あのときだったんですね、プロポーズされたのは」


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