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・米軍普天間基地の移設問題。8か月もの迷走のすえ結局、辺野古沖の埋め立てに
戻ってしまった。番組は、14年前に橋本元首相が電撃的に日米合意に持ち込んだ
普天間基地移設の秘話を取り上げた。浮き彫りになったのは『首相に器』とは何かということ。
秘話を語ったのは橋本政権発足当時、経済企画庁長官だった田中秀征。それによると、
米海兵隊員による少女暴行事件を契機に沖縄県民の怒りがピークに達し、米軍基地の撤廃
運動に発展した96年1月、自民・社会・さきがの連立による第1次橋本内閣が発足した。
橋本が掲げたのが「米軍基地の整理・縮小を求め、その解決に全力を尽くす」だった。
1か月後、当時のクリントン大統領との首脳会談で、橋本は外務省の反対を押し切って普天間
基地返還を要請する。橋本の『本気』を見て取ったクリントンは、国防長官に「検討せよ」と指示、
わずか2か月後に日米合意に達したという。
米国から帰国した橋本と田中が2人きりになったとき、橋本は返還要請した経緯について田中に
次のように洩らしたという。
「沖縄の人たちが可哀そう過ぎるもん。戦争中も戦後も、われわれの犠牲になってくれた。
できるだけのことをするのは当然だよ。言うか、言うまいか、眠れなかった」
田中は「それを聞いて、それまでのポマードを付けたキザな人という印象で片付けていたけど、
一変した。橋本さんに対する評価、総理の真情を見た」という。
さて、問題はここから。鳩山首相は当時、新党さきがけ代表幹事として政権与党にいて、
沖縄基地問題の協議にも参加していたという。
田中は「与党の中枢にいたわけだから、その合意には当然責任がありますよね。その方向から
近づくならいいが、卓袱台ひっくり返す感じになった。勉強が足りなかったなら、(総理に)
ならなきゃいい。総理は勉強するためにあるんじゃないのだから」と斬って捨てた。
沖縄に15回も足を運んだという橋本に対し、鳩山は今回わずか2回、それも2回目は『辺野古回帰』
への引導を渡すためにだ。(>>2-10につづく)
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