10/05/24 01:43:56 MtqvmxtY0
>>323
歴代の鹿児島県知事の椅子は官僚天下りの指定席であり、県政停滞の最大の原因とされていた。その旧弊を打破し
ようと、2004年7月の選挙で県議会議長溝口宏二が立候補を表明し、県議会最大会派の自民党所属県議を含む多
数の県議がそれを支持する雰囲気にあった。
そもそも鹿児島県の政界は自民党衆議院議員山中貞則(鹿児島5区、元党政務調査会長)と同小里貞利(鹿児島4区、
元党総務会長)の両雄の勢力バランスでなりたっていた。ところが、山中が2004年2月20日に逝去した。小里は県
政界のヘゲモニーを掌握しようとしたが、溝口の県議選挙区が小里の衆議院選挙区と重なり、その存在は煙たいも
のであった。そこで、溝口の知事選挙当選を阻止すべく、対抗馬に総務省大臣官房総括審議官伊藤祐一郎を担ぎ出
した。選挙の結果、伊藤が414024票獲得し、溝口の349849票を退けて当選した。
鹿児島県における権力の絶頂で小里はその翌年政界を引退し、後顧の憂いなく長男泰弘に選挙地盤を引き継がせた。
泰弘は2005年秋のいわゆる郵政選挙に自民党公認で立候補し、伊藤知事の献身的な応援で見事初当選して、世襲が
シナリオとおりに実現した。
小里泰弘は2009年夏の衆議院選挙では、民主党候補皆吉稲生の「日の丸問題」に救われて再当選した。