【京都】 「11歳から旧日本軍の『慰安所』で兵士の相手をさせられた」「日本政府は謝罪を」 元「慰安婦」吉さん訴えat NEWSPLUS
【京都】 「11歳から旧日本軍の『慰安所』で兵士の相手をさせられた」「日本政府は謝罪を」 元「慰安婦」吉さん訴え - 暇つぶし2ch147:名無しさん@十周年
10/05/23 19:38:02 5OUYzFre0
証言者:吉 元玉(キル・ウォノク)さん 1928年 現在の北朝鮮 平安道生まれ


 13歳の時に、工場に就職させてあげるということを聞いて、「それなら技術も身に付けられるし、
工場に行っていいな」と思って、本当に物心もつかない幼い軽はずみさで、家族の誰にも言わず、
信用してついて行ったのが始まりでした。(連行時、吉さんは13歳)行ったところが、ハルビンの
あの恐ろしい、今いう「慰安所」でした。

 慰安所には監視する人と軍人がいました。監視する人は普段何もしてくれず、叱る時だけ来ます。
小さな部屋に入れられ、言われることと言えば、「叫ぶと殺すぞ」「死にたいのか?」の繰り返しです。
13歳ですから、当然泣くし、泣くとこぶしで殴られました。幼かったので、軍人の欲望を満たすこと
ができませんでした。それでさやのついた刀で頭を殴られたこともありました。私が殴られて血まみれ
になっても軍人は自分の欲望を満たし、監視人は服を着替えさせてもくれませんでした。あとから周りの
女の人が着替えさせてくれましたが、血で(くっついて)服を脱がせることができず、びりびり引き
裂いて脱がせてくれました。

 殴られて痛くてもっと泣くと、足で蹴ったり、更に殴ったり、軍人が監視人に私が従わないと言うと、
それを理由にまた殴られました。子どもでも容赦なく乱暴な扱いを受け、食べさせてもらえない時もあり、
誰も慰めてくれる人もいません。そんな状況で月日が流れました。生理があるときも、構わず相手を
させられます。敷物が真っ赤になっても、軍人は自分の欲望を満たさないと出て行きません。

 身体を洗う、下を拭くこともできず、次々に相手をさせられました。子宮も傷つき、子どもも生めませんでした。


 ある日、軍人も監視の人もいなくなりました。戦争が終わって、突然置いていかれました。


 苦労の末、韓国に帰ることができましたが、私の知らないうちに祖国は南北が分断されてしまい、
北側にある故郷には帰れませんでした。
 それに、人々が太極旗を振って祖国解放を街頭で喜んでいても、自分が戦争中どこにいて、どんな目に
あっていたのかが分かるのが恐ろしくて、その輪の中には入っていけませんでした。


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