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(>>1のつづき)
「その後、息子は新宿署に任意同行を求められました。その様子はすべてICレコーダーに
録音されています。息子は、自分は理由もなく暴行を受けた被害者だと訴えましたが、痴漢の
容疑者として取り調べられました。息子は担当の刑事さんに、『私はこれから、ニュースでよく聞く
“痴漢冤罪被害者”として人生を歩まなくてはいけないのでしょうか』と訴えていました」
信助さんは翌朝の午前5時45分、再び事情聴取に応じる確約書を書いたうえでようやく解放された。
だが、家には帰らず、新宿駅のコインロッカーに鞄を預けた後、JR中央線で東京駅へ。さらに地下鉄
東西線で早稲田駅へ向かい、午前6時40分、早稲田駅で1本後の電車に身を投じた。新宿署を
出てからわずか55分後。東京駅地下通路の防犯カメラには、やつれきった様子で視点も定まらず
フラフラと歩く信助さんの姿が写っていた。尚美さんはやりきれない表情で語る。
「警察は死んだ息子を送検し、被疑者死亡で不起訴処分となりました。でも、息子は絶対に痴漢は
やっていません。大学時代の友人やJAXAの元同僚、大学の同僚や先生方も全員、『原田くんは
絶対に痴漢なんてしない』と涙を流してくれます。警察は大学生たちの情報を一切教えてくれませんし、
東京地検も不起訴記録の不開示を決めました。私は息子の無念を晴らすために真実を明らかに
したいのです」
尚美さんは駅頭での目撃者捜しと同時に、これまで触れたことのなかったパソコンやインターネットを
独学で学び、ブログを開設。信助さんが使っていた携帯電話を連絡先として情報提供を
呼びかけている。(以上、一部略)