10/04/28 18:33:10 hz7kv9Ff0
>>283
完成ではなくて、本来求められるのは、その時代時代にあった流動的な対応だね。
都の条令だと、規制のあり方を「今の時代で固定化」してしまう事になるし、それは
本当によくない規制というか、対応の悪いお手本だよ。(過去作品の基準化なんて、
ただの過去信仰だろ?)
一つの作品とて、それの規制というか選別には、本気の作品への対応の姿勢が
必要なのであって、それを「明確な規制」といっても本来の求められてる明確さとも
違うのだけど、その規制の方法でやられると、作品の本質無視の規制が横行する
流れになるから、その「今の時代の作品を狙い撃ちの規制と基準」は、作り出すべき
ではないんですよ。
(例えば近未来に、人間が「耳」だけで感じてイクようになったら、どうするの?)
「今の時代に固定化した規制方法」だと、結局それが無意味なものになりやすいという
弊害もあるわけで、作品ごとに本気で向き合ってその作品をどう扱うかの姿勢だけが
「正しい表現との付き合い方」になるんじゃないかと思います。
適当に、それっぽいコミックの中から規制に都合のいいカット探しをするのが、本来の
規制ではないって事です。(テレビで猪瀬が行った条令とは不一致の漫画晒しとかね)
完成された基準もまた、今の時代で「規制のあり方」を固定する、ただの思考停止の
規制ですから、そうではなく、もっと流動的に、常にその時代の作品と向き合って意見を
言い合い、その過程の中から上手く住み分けていく。 そういう疲れる過程が実は大切
なんですよ。
「考えるの面倒、対話も嫌、作品を本気で読みたくない、便利な規制の道具だけ欲しい」
↑↑
こういう姿勢での規制にこそ、悪い規制の本質があるのだと思いますよ。
つまり、「便利な規制の道具の完成を目指す」というのは、規制を思考停止させる罠でも
あるんですよ。 表現とは、常に本気で向き合うのが正しい付き合い方です。