10/04/27 17:47:09 DmRLnC690
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この疑念は(楫子の死後であるが)一九二八年に同会が請願した『性愛記事の取締』によって倍加する。
請願の対象となった性愛記事は、男性向けの雑誌に掲載されたものではない。
驚くべき事に、彼女たちが政府に取り締まりの強化を訴えたのは、女性向けの雑誌群、いわゆる婦人雑誌だったのである。
当時の婦人雑誌は今で言うセックス特集(といっても非常にソフトなものであるが)をすることで、売り上げを倍々ゲームで伸ばしていた。
現代にたとえるなら『サティスファクション』が大ヒットを飛ばすようなもので、
それだけ当時の女性が日常行われる性行為に疑問を抱いていたり、満足感を感じていなかった事への証左である。
仮に矯風会が同性の地位向上や権利獲得を目指している団体であれば、こうした現象が女性への社会的な抑圧によって生じていることを理解し、
黙認するなり某かの問題提起を行うのが筋というものだろう。
ところが、実際に矯風会が行ったのは、それとは全く正反対の行為だった。
彼女たちは同性を性的に抑圧することに何のためらいもなかったし、そうした請願が言論弾圧の引き金になる可能性も考慮しなかった。
単に性的なことを公の場で話すことは倫理にもとるので、権力に頼ってでも黙らせたいと考えていただけなのである。