10/04/18 11:15:40 nQZ9/wns0
清帝国がアヘン戦争で大英帝国に屈した後、香港割譲などを
約した江寧条約(南京条約)が結ばれたのが1842年[a]。これ
以降、列強が中国の各地を蚕食していく。 しかし、西洋列強の侵略が中国に貧困と不安定をもたらした
という中国被害者史観は正しくない。中国の貧困と混乱は18
世紀末から始まっていた人口過剰-自然破壊-天災-飢饉-流
民化-内乱という自壊プロセスによるもので、西洋列強の侵略
はそれに乗じたものに過ぎない。 1899年頃に発生した義和団の乱も、太平天国の乱と同様、カ
ルト集団が起こした大規模な内乱だった。義和拳という拳法を
習得すれば、銃弾も跳ね返すことができるという迷信で大量の
流民を引き入れ、当初は「反清復明」(満洲人の清を打倒し、
漢人の明を復活させる)などのスローガンを掲げていたが、清
国軍に弾圧されるや、「扶清滅洋」(清を助けて西洋を滅ぼす)
と一転させた。 窮乏の原因を、中国国内に目立ってきた外国人のせいにする
のは、流民たちの暴動エネルギーを結集するのに効果的であっ
た。この排外暴動の中で、華北一帯の250人以上の白人キリ
スト教宣教師とその家族、2万人以上の中国人キリスト教徒が
殺害された。 この暴乱を今日の中国政府は「愛国運動」だと讃えるが、実
態は民衆の不平不満のエネルギーが、水が低きに流れるように、
もっともぶつけやすい対象に集中したに過ぎない。そのメカニ
ズムは昨今の反日暴動と同じである。