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・日本が日米安保条約改定で騒然とした1960年、演説中の浅沼稲次郎社会党委員長が一人の
元右翼団体員の少年に刺殺された。戦後政治の流れに大きな影響を与えたとも言われる、
公衆の面前での衝撃的テロ。ちょうど半世紀の今年、あの事件を検証する様々な動きがある。
犯人の少年をたたえる言論も、いまなお続く。
浅沼委員長が通った早稲田大で25日から始まった企画展「浅沼稲次郎とその時代」。
穴の開いた背広や血がにじんだシャツなど最期を物語る遺品や、演説原稿など、約100点の
資料が展示されている。
村山元首相(86)は事件当時、地元大分の市議だった。事件をテレビで知り、体が震えた。
「少年の出来心か、それとも激しい安保の渦に巻き込まれたのか…」。いまだ答えが出ないという。
ただ、「冷戦が終わっても、日米安保の基本構造は変わっていない。言論をテロで封じる動きも。
当時の問題は未解決のままだ」と考えている。
映画監督の若松孝二さん(73)は、浅沼委員長と、刺殺犯の山口二矢元大日本愛国党員を
描く映画を準備中だ。一昨年には60年安保以来の新左翼運動を追った「実録・連合赤軍」を撮った。
「テロを美化するわけじゃない。左も右もなく、国を思って行動した人間たちの純粋さを描きたい」
一方、事件後に鑑別所で自殺した山口元党員について、ネット上では「烈士」「英雄」と、テロ行為を
称賛する書き込みが今も相次ぐ。
山口元党員が眠る東京・青山の墓地。昨年の五十回忌には、遺族欠席のなか、右翼関係者ら
300人が列席した。今年11月2日の命日には、山口元党員を顕彰する集会が開かれる。
呼びかけ人の一人で、右翼団体代表の河原博史さん(39)は「堂々と本懐を遂げ、自裁して
責任を取った。匿名の卑劣なネット右翼とは違う。それでも若い人が関心を持つのは歓迎だ」と話す。
ただ、こうした動きに、右翼団体「一水会」の鈴木邦男顧問(66)は距離を置く。同年生まれで
「ずっと山口の背中を追ってきた」が、現在はテロを否定する。「右翼に言論の場がない
時代ではない。意見の同じ者で固まり、気に入らない人間をつぶす。そんな風潮はまずい」(抜粋)
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