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そして戦後の朝鮮人の行動
1946 「首相官邸デモ事件」朝鮮人2千人が首相官邸にデモ行進、
官邸に進入しようとし警官隊と大乱闘。検挙者15名
1946 密入国者・強制送還者。21420名・15925名 (警察庁調)
1947 GHQの命令で「外国人登録令」が在日韓国・朝鮮人等に施行。
密入国・米の不正受給防止が目的。
1947 密入国者・強制送還者。6888名・6296名
1948 密入国者・強制送還者。8500名・6207名
1948 米軍政部が山口で「朝鮮学校閉鎖命令」以降、兵庫・大阪・
東京も。文部省・朝連間で私立学校として認可する事で妥結
1948 「4.24阪神教育事件」大阪市・神戸市、朝鮮人学校問題で在日
朝鮮人2500名が府県庁を包囲、知事等を軟禁。
進駐軍が非常事態宣言。首謀者は軍事裁判に、一部は国外追放。検挙者1800名
1949 密入国者・強制送還者。1641名・7663名
1950 密入国者・強制送還者。3612名・2319名
1950<朝鮮戦争勃発> 実は朝鮮戦争の時に密入国した在日が一番多いという話もある
1951 「王子事件」十条の朝鮮人学校が捜索され、これに反対する無届
集会の解散を命じられるが抵抗。検挙者8名
1951 「日野事件」滋賀県で朝鮮人50名が強制送還反対を叫び警察と
衝突。警察側の重軽傷者25名、検挙者35名
1951 密入国者・強制送還者。4847名・1172名
1952 「吹田事件」在日朝鮮統一戦線系学生1100名が警官隊と衝突。拳銃2丁奪い交番2ヶ所・工場襲撃。検挙者113名
1953 「外国人登録法」制定。反対運動の為施行は1955。指紋押捺制度は韓国からの密入国者が多かった為と、
日本経由の北の工作員対策で韓国政府が強く要請した為に始まる
1952 密入国者・強制送還者。3263名・2320名
1953 密入国者・強制送還者。1404名・2685名
1953<朝鮮戦争休戦>
1954 「第二神戸事件」旧朝連系900名が警官隊と衝突。長田区役所、税務署の窓ガラス等を破壊。検挙者188名
1959 「北朝鮮帰国事業」10万人弱の朝鮮人が帰国するが、北の実状が伝わるとともに誰も帰国しなくなる
1965<日韓基本条約調印>