10/03/24 13:54:42 nGxeHTaq0
>>676
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故郷の何人かの友達といっしょに生きる道を求めて日本に渡ったアボジは、大阪近郊の牧場で
雇われた。明け方に起きて牛乳を搾り、牧草を刈り、牧舎で仕事をする牧場の労働者だった。
故郷の作男暮らしよりもさらにきつく辛い生活だったが、アボジは勤勉に仕事に専念した。
貯蓄もできた。
日本である程度の生活基盤を確保し、アボジは一時故郷に帰り、結婚した。今は大邱市に
編入されている半夜月の蔡氏の娘を新婦に迎えた。
新郎新婦は結婚式を挙げていくらもしないうち日本へ帰り、異郷暮らしの中で男女六人の
子供を産み育てた。末弟の相弼は故郷に帰って生まれた。
「李明博自伝」平井久志・全●(●は「王」へんに「景」)/訳
新潮文庫、2008年 URLリンク(www.amazon.co.jp) 42ページ
日本の植民地支配から解放された直後の一九四五年十一月、私たち八人の家族は
日本の大阪で荷造りをした。アボジ(父)とオモニ(母)、長姉の貴善、次男の相得、
二女の姉の 貴愛、そして私、妹の貴粉の大家族は下関港から釜山へ向かう臨時旅客船に乗った。
帰国船だった。逼迫と悲しみの地、日本で、困難の中でなんとかかき集めた全財産と言えば、
いくらもない金とぼろぼろの衣類、そして日用品などがせいぜいだった。
上掲書 40ページ
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自発的にやってきて金が溜まったら朝鮮へ帰り結婚して嫁を連れてきた。
戦後も金がなくても乗れる帰国船が出された。
これが「強制連行」の実態です。
韓国の大統領がそう言ってるんですから間違いないでしょう。