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■明治政府は、なぜ宮古・八重山を中国に与えようとしたのか
1880年の琉球の帰属に関する日清両政府案
日本政府案
1、沖縄諸島以北を日本領土とする
2、宮古・八重山を中国領土とする
3、上記のことを認めるかわりに、1871年に結ばれた日清修好条規に、
日本商人が中国内部で欧米諸国並みの通商ができるよう条文を追加する
清政府案
1、奄美諸島以北を日本領土とする
2、沖縄諸島を独立させ、琉球王国を復活させる
3、宮古・八重山は中国領土とする
こうして1880年10月、交渉は日本案で妥結し1881年2月、両国の代表が石垣島でおちあい
正式に宮古・八重山の土地・人民を清国に引渡すことになった。
しかし、琉球の脱清人(清国への亡命者)による「日本への帰属反対」の請願が、再三にわたって清国政府に届けられていたことと、
ロシアとの国境紛争に解決のめどがたったことなどで、この条約の正式調印はそのまま棚上げにされた。
『琉球・沖縄史』より